寝取られ作家はテクニックがない

寝取られ小説家をやっていて困ることのひとつに、作家本人の性体験が乏しいということがあります。
どういうことかと申しますと、官能小説を書いている私自身に、セックスのテクニックが皆無なのです。

 

普通、官能小説家と言えば、性豪なのではないかと思います。
セックスについて並々ならぬ興味と関心を持ち、様々な種類のセックスを経験し、何百人という女性との豊富な性体験を持ち、女体についての知識も豊富。もちろんセックスともなれば、数々のテクニックで女性をイカせることが出来る。
作家が男性であれば、そういったイメージを思い浮かべます。

そういった豊富な知識と体験、そしてテクニックがあるからこそ、迫力のあるセックスシーンや、説得力のあるエッチな描写が出来るのではないかと思います。

 

しかし寝取られ専門に書いている私の場合、そうはいきません。
私は自らが寝取られ性癖の夫であり、自らが妻を寝取られた体験に基づいて小説を書いています。
自らが寝取られ性癖を持つからこそ、寝取られる男の気持ちがわかり、その心理を描くことが出来るのですが、その反面、セックスそのものについては困ることだらけです。

一般の官能小説家は性豪ですから、女性体験の豊富な、魅力的なモテる男性だと思います。
けれども寝取られ小説家の私は、冴えない寝取られ男ですから、まったく女性にモテません。そして、官能小説を書いている身でありながら、セックスの経験がまったくもって少ないのです。

 

これがどういうことなのか、オチはお分かりのことと思います。
寝取られ小説家の私は、自分のセックス経験ではなく、妻のセックス経験が豊富なのです。

私達寝取られ夫婦の夜の営みと言えば、妻の股間には何人もの男性のモノが代わる代わる入れられるのに対して、夫の私はそれを見て一人で必死にオナニーをしているだけだからです。

 

たとえば女性がイク姿。
私がこの目で見たことのある女性のイク姿というのは、妻のイク姿だけです。妻以外の女性がイク様子を、私は自分の目で見たことが無いのです。

しかもそれは、自分の手で(あるいはチ○ポで)妻をイカせたのではありません。
他人の手で(あるいはチ○ポで)妻がイカされる姿を、何度も繰り返し、目の前で見てきたのです。

 

そして私はセックスのテクニックをまったく持っていません。
私が知っているセックスのテクニック、それは自分が女性に対して行ったものではなく、他の男達が妻を抱く時に、妻に対して使ったテクニックなのです。

ですから私は女性を抱く男の目線で、セックスのテクニックを書くことが苦手です。
それらのテクニックや、愛撫を、私は自分で妻に行ったことがないからです。

 

たとえばセックスの体位ひとつ取ってもそうです。
私は妻とのセックスでは、ごく普通の正体位しか出来ません。ほんの時々、後ろから試させてもらうことがあるくらいです。少し変わったことをやろうとすると、もううまく挿入りません。寝取られ男とは、それくらいつまらないものなのです。

騎乗位というものには憧れがあります。
けれど私は妻と騎乗位でセックスをしたことがありません。無いというか、出来ないのです。試してみたけれど、うまくいかなかったのです。

けれど妻は何度も騎乗位でのセックスの経験があります。
私は妻が全裸で、男性の胴体に跨がって、髪を振り乱し、胸を上下に揺らしながら、激しいセックスをする姿を何度も、何度も、何度も見ています。

 

ですから私の描く騎乗位は、自分が女性を抱いた経験を元にしたものではなく、妻と他人とのセックスの中で見た、妻が他人にされた騎乗位が元になっています。

妻の形のよい美乳がリズミカルに弾んで形を変える様子も、男性の割れた腹筋の上で、ヘアをこすりつけるようにして妻が腰を前後させる様子も、妻の引き締まったお尻の筋肉がダイナミックに躍動し、そのお尻の割れ目に男性の睾丸がぺたんぺたんと打ち付けられる様子も、私はこの目で、目を皿のようにして観察したのです。

 

もうひとつの例は、潮吹きでしょうか。
これは私が人に自慢できる、唯一のセックスのテクニックです。
私は手を使って、妻に潮を吹かせることが出来ます。

しかし、もうおわかりでしょう、妻に初めて潮吹きをさせた男は、私ではありません。
妻が二十代前半の頃、妻のおま○この中の性感帯を開発して、潮吹きを覚えさせたのは、当時彼女が何度も抱かれていた、私達よりも歳上の男性なのです。

私はその様子を見ていて、何度も挑戦するうちに、指を使って妻に潮を吹かせることが出来るようになったのです。けれど、それも本当は妻が他人によって教えられた快感なのです。妻の知っている女としての喜びは、そのほとんどが、私ではない男によって教えられたものです。


私の知っているセックスの知識。
それは何人もの男性が妻を抱く様子を見て、その中から学んだものばかりです。
私は小説の中で、それを見様見真似で書くしかありません。
私に出来るのは、寝取られ男の立場から、見ているだけしか出来ない傍観者の立場から、妻と他人とのセックスを描くことだけです。

ですから私には、豊富な知識とテクニックに裏打ちされた、迫力のあるリアルなセックスシーンなどは、残念ながら書くことが出来ません。

しかし、目の前で大切な女性を寝取られる辛さ、心の痛み、嫉妬、どうしようもない無力感、あきらめと、これでいいんだという納得、そしてどんなに否定してもこみ上げてくる興奮に最後はすべての思考を停止させられてしまう……そういった心理は、よくわかります。奪われる側の気持ちは、描くことが出来るのです。

 

そしてもうひとつ、性豪と呼ばれるような官能小説家の方には、おそらく描けない視点……

寝取られ夫は、いつもセックスを下から覗き込んでいるのです。

妻を抱く男性の太い棒が、妻の股間に出入りしている下半身の結合部。
そのひとつになった部分を、寝取られ夫はいつもよく見ています。

M字型に開ききった妻の太もも。そこに覆い被さる男性の太い胴体。
自分とは比べものにならない大きな棍棒で、押し広げられた妻のあそこ。
そのすぐ下、引き上げられた男性の睾丸が、肛門のそば、会陰の辺りに張り付き、ぺちぺちと何度も打ち付けられる様子。
妻の中から溢れる泡立った白い粘液が、男性の棍棒にべっとりとまとわりつき、それが股間に垂れ、妻の股間を真っ白に染めながら、シーツを汚していく様子。

そして男性が限界に達し、妻の中にすべてを放出しながら、男性の尻の筋肉が、ぶる、ぶる、と震え、そして男性が射精するのに合わせ、棍棒の根元、妻の股間に押し当てられた男性の睾丸がポンプのように上下に繰り返し動く様子……ああ今、勢いよく妻の中に発射しているんだな、ということが、痛いほど伝わってきます。

 

これらの様子は、普通のセックスでは見ることが出来ず、寝取られ夫だからこそ見ることの出来る、描くことの出来るものなのではないかと思います。