映画のように寝取られたい
私、八ヶ岳昌司が寝取られ小説にこだわっているのは、寝取られというものはカップルの心理の中にあると考えているからです。
夫婦の関係、恋人同士の絆、二人がこれまで歩んできた過去といったストーリーの上に、彼女が他の男と肉体的に結ばれてしまうという、あってはならない出来事が起こり、そこには非常に複雑な感情が巻き起こります。
その心理状態とストーリー性の中にこそ本当の寝取られ、NTRの醍醐味があります。
多くのアダルトビデオでは、この部分の描写が十分とは言えません。
また漫画、コミックであっても、心理描写は簡略化されてしまうことが殆どです。
絶望、嫉妬、悲しみ、怒り、混乱、そして理由のわからない興奮……決して反応してはいけない場面にも関わらず無条件に反応してしまう下半身〜これは妻も夫もどちらもです〜、そして我を忘れてしまうほどの快感……
愛する女性を寝取られた者だけがわかるこのような心理を細かく描くために、私は小説という手段を選びました。
けれども本当は、寝取られ映画を作ってみたいという思いがあります。
それもハリウッド映画のような本格的なものです。
寝取られというものは、恋愛のストーリーが美しければ美しいほど、その衝撃も高まります。
アダルトビデオのような、冒頭の5分間でカップルの関係が描かれ、あとの一時間半はヤられているだけ、といった作品は、手軽にオナニーをするためには便利ですが、それでは本当の寝取られの切なさと衝撃は実感出来ません。
一流の恋愛映画のように、甘く、切なく、ピュアで美しい、そのような彼氏と彼女の関係を前半の一時間かけて丁寧に描き、その純愛に胸がじーんと温かくなった頃合いで、寝取られという事件によって舞台が暗転し、後半の一時間でヒロインはこれでもかというほどにヤられまくる……
このような本格的寝取られの映画を見てみたいのです。
本当はハリウッド映画のようなNTRが良いのです。
アダルトビデオのような低予算ではなく、豪華な舞台装置を使って。
主人公は美男美女……
男の方はちょっと頼りない平凡な男の方が感情移入が出来ますが、ヒロインは可憐な美人女優であって欲しい。
なぜなら寝取られ夫(寝取られ彼氏)は妻のことを心から愛していますから、夫の目から見れば彼女はアイドルや女優にも劣らない絶世の美女に見えているからです。
そんな彼女が、妻が、突然何の理由もなく、他の男にヤられてしまう。
それが合意であれ、無理矢理であれ、肌を重ね、唇を重ね、そして足を開かれ、相手の背中に抱き付いて快感の声を上げてしまう。
映画を見ている観客はきっと戸惑うことでしょう。
それまで長い時間をかけて、二人の出会い、恋に落ちたきっかけ、勇気を出した告白、幾度ものすれ違い、お互いの過去を知り、理解し合う……そしてついにプロポーズ……
せっかくそのように二人の関係を描いてきたのに、突然何の関係もない男達が、あるいはたまたま居合わせただけのクズのような男が、美しいヒロインの身体を好き放題に味わい、遠慮なくチ○ポを挿入して、自分のものにしてしまうのですから。
けれども、戸惑っているのは観客だけではないのです。
見知らぬ男に抱かれてしまった彼女も、そしてそんな彼女の姿を見てしまった彼氏も……
突然の理不尽なセックスと、何よりも説明のつかない快感に、戸惑っているのです。
その気持ちが理解出来るようになるまでには、時間が必要です。
寝取られてしまった自分達の下半身に何が起きているのか。どうして気持ちよくなってしまうのか……
それが分かるまでには、どんなカップルでも時間がかかります。
特に若いカップルであれば尚更です。
こんなことがあってはいけない筈なのに、理由もわからず強烈な快感を感じて、冷静な判断が出来なくなってしまいます。
純情な彼女は、何人もの男にかわるがわる挿入されて、彼氏とのセックスよりも何倍も大きな声を上げ、男の背中に抱き付いて感じてしまう。
真面目な彼氏は、ショックで混乱しつつも、今までに無かったほどにチ○ポが立ってしまいます。そして寝取り男の自分よりも大きなチ○ポと、彼女が感じさせられる様子に圧倒され、半泣き状態になりながらもオナニーが止まらなくなるのです。
そうなったらもう止められません。
強烈な快感が脳に焼き付いてしまうのです。
二十歳の頃の私と真由子がまさにそうでした。
真由子が初めて浮気をしてしまい、ふとしたきっかけで寝取られを経験して以来、僅か半年余りの間に真由子の股間には15人ほどの男のモノが入り、私達は呼び出せば彼女をヤれる都合のいいカップルとなり、そしてある夜、一晩中まわされ続けた真由子は妊娠したのです。
私という彼氏が側に居たにも関わらず、女をヤりたいだけのクズのような男達によって、真由子は妊娠させられたのです。
彼氏である私は……
勇気を出して告白し、デートを重ね、一生彼女を守ると約束した筈の私は……
その時、彼女を守るどころか、男達に脱がされ、まわされる彼女の姿を見て興奮し、一晩の間に4回もオナニーしていたのです。
三人の無関係な男達によって、5回、6回、7回と彼女の中に中出し射精されながら、彼氏の私は4回オナニーしたのです。
これが恋愛映画の結末だったら、観客はどう思うでしょうか?
男達の精液でぐちゃぐちゃになったヒロインの股間と、泣きながら下半身だけ裸になってチ○ポをしごいている主人公。
そんな情けない場面で映画のエンドロールが流れ、エンディングテーマが流れたら、きっと観客は怒り出してしまうでしょう。
例えそれが、本人達にとっては、被虐的な快感と、歪んだ愛に満ちたハッピーエンドだったとしても。
エンディングテーマが終わった後、最後の場面では、結婚して夫婦となった2人が、小さな子供を連れて、幸せそうに笑いながら歩いている姿が映ります。
その子供は妻が他人とのセックスによって授かった子供です。二人はアブノーマルな関係ですが深い愛情で結ばれ、幸せに暮らしています。
けれども殆どの観客には、こればバッドエンドであり、受け入れることの出来ない結末です。
ですから、この映画は現実に作ることは出来ません。
一般の人々に、寝取られる快感と、その被虐的な性癖の理由を、理解出来るように説明することは不可能です。それを説明するには2時間の映画では時間が足りません。
ハリウッド映画のような本格的な恋愛のあるNTR映画を作ることは、夢のまた夢なのです。
しかし、もし本当に作ることが出来るのであれば、前半の一時間で恋愛関係を丁寧に描いたように、後半の一時間はセックスの様子を丁寧に撮影してもらいたいと思っています。
恋愛映画のキスシーンと同じように、寝取られではセックスのひとつひとつの場面が大切です。
寝取られる側の男にとってみれば、大切な最愛の彼女が、憎い男にどんなふうにしてヤられてしまうのか、それは一瞬たりとも見逃せない大切な光景だからです。
それは胸が張り裂けそうなつらい光景ですが、同時にゾクゾクしてしまうような美しくエロティックな光景です。
寝取られた彼氏は、他人にヤられる彼女の姿が、今まで自分に見せたことがないほどに美しく可憐だからこそ、余計にショックを受け、興奮し、また魅了されてしまうのです。
股間は立ちっぱなしとなり、何も言えず、息を飲んで、目を皿のようにして見守るだけになってしまうのです。(そして、そうこうしているうちに彼女は最後までヤられてしまいます)
そのひとつひとつの場面を、一挙手一投足を、ぜひ丁寧に描いてもらいたいです。
男達が、彼女の身体のどこから触り、どこから脱がせていくのか。
唇は奪われてしまうのか。唇を奪われた時、彼女は目を閉じているのか。
一気に全部脱がされてしまうのか、それとも下着の上から愛撫されるのか。
おっぱいを中心に愛撫されるのか、それともお尻を中心に撫で回されるのか。
そして彼女の美しい乳房に、赤の他人である男の舌が這い回る様子を、ぜひスローで、アップで撮影してほしい。
彼女のパンツに男の手が差し込まれ、そのパンツの生地が引き伸ばされる様子を、その生地の下で男の中指が動く様子を、ぜひ接写で、アップで撮影してほしい。
そして彼女の左右の乳房が、二人の男によって同時にしゃぶられる様子を、じゅるじゅる、ちゅぱちゅぱ、という音と共に……そして彼女の「あぁっ」という切ない声と共に……ぜひ最高のアングルで何度も映してほしい。
そして彼女が中出しされてしまうシーンでは、彼女を犯す男が思い切り腰を突き入れ、彼女のオマ○コの奥深くまでチ○ポを突き刺し、射精する時には男の尻がぴくぴくと動く様子を、そして後ろのアングルから、射精するのに合わせて男の睾丸が上下に動く様子を、そして子宮いっぱいに精子を受け止めながら、頬を紅潮させて快感の声を上げ、大きく胸を上下させて深い息をつき、まるで天国に居るような彼女の表情を、様々なアングルから、最高の画質で撮影して欲しい。
そして彼女が何人の男にヤられ、何回中出しされたかも、省略せずに描き、全ての中出しシーンをこれでもかという程に、見ている方が絶望するほどに見せつけて欲しいと思います。
現実の寝取られでは……特にそれが複数による輪姦なら……セックスが一度で終わる筈がなく、女性の中には何度も何度も、男の精液が注がれることになるからです。
美人の彼女を、情けない彼氏から奪い取って犯す。
彼氏の目の前で、ヤりたい放題に、見せつけるようにして犯す。
中出し射精して完全に奪い取る。
妊娠しても彼氏の子供ということになるので、何の責任もない。
こんな状況ですから、寝取る側の男は普通のセックスの何倍も興奮して、ヤりまくってしまうのです。
彼女の方はどうでしょう。
たとえ純愛であっても、セックスについては女性の方が現実的で残酷です。
彼女はされるがままで、彼氏にも見せたことのないほどの可憐な姿を、ヤりたいだけの男達を相手に見せてしまいます。
欲望にギラついた男達を相手に、彼女は感じまくり、キスをして舌を絡め、夢中で抱き合ってセックスするその姿は、もう恋人同士のセックスと区別が付きません。
愛欲にまみれ、快感に咽ぶその姿は、悔しくなるほどに美しく、見ているだけで体が熱くなるほどにエロティックだったのです。
少なくとも、私の愛する真由子はそうでした。
彼氏ではない、クズのような男達とのセックスでも、彼女は天使のような愛らしい顔を見せ、女神のような美しい裸体で、男達の欲望をすべて受け止めたのです。
それまでの恋愛のストーリーは全く無意味でした。
恋愛感情とセックスは全く関係ありませんでした。
人間は、そして女は……上半身の人格と、下半身の人格は別のものだという事実を、私は大切な恋人であり、妻である真由子のヤられる姿を通じて知ったのです。