純愛という価値観の末路
男と女の関係、恋愛、そして結婚ということを考える時、そこにはふたつの方向性があります。価値観、世界観と言い換えてもいいでしょう。
ひとつは、心から好きになれる相手を見つけて、生涯その相手を愛するという考え方。
理想の女性を見付け、そのたった一人の理想の女性と、互いに愛を誓い、生涯を共にする。信頼関係を大事にして、お互いに誠実であるためには、浮気は考えられません。だから肉体関係を持つのはその大切なパートナーのみ。理想的には、セックスの相手は一生の中で一人だけ。
それは、愛という精神的な繋がりを重視した男女関係。ひとつの理想の姿だと言えます。
人間社会には結婚という制度があり、その結婚という制度の上に家庭というものが成り立っています。
この一対一で愛し合うというモデルが、人間社会の基盤となっていることは否定できないことでしょう。
それに対して、もうひとつの考え方があります。
それは、なるべくたくさんの相手と恋愛をするという方向性。
少しでもいいと思った相手とは、なるべく関係を持つ。
長期にわたる関係性や精神的なつながりといったものは重視しません。その時、その場で、相手を手に入れ、セックスをすることがすべて。
これは、人間なら誰もが持つ欲望、肉体的な性欲に基づいたモデルだと言えます。
愛のモデルでは、原則的にはセックスの体験人数は一人だけとなります。
夫がセックスするのは、生涯で妻ただ一人。同じように妻が抱かれるのは、生涯で夫ただ一人。
しかし欲望のモデルでは、相手がたった一人だなんて、とても考えられません。
たった一人の相手に縛られるなんて、損している以外の何物でもない。まるで人生を棒に振っているみたいです。
たくさんの相手とセックスをして、気持ちよくなれるチャンスがあるのに、それをすべて無視して、たった一人の相手に自分の人生を捧げるなんて。
「そんなのごめんだわ」
そんなふうに思ったとしても、不思議ではありません。男であっても、女であっても。
現実には人間社会の男と女の営みは、理想的な恋愛関係ではなく、欲望のモデルに基づいて行われることが殆どではないでしょうか。
そしてその方が自然です。
自然界ではすべての動物は、自由に求愛して、交尾(セックス)をして、オスはなるべく多くのメスと交尾とするように努力し、そしてメスはなるべく強く優れたオスを求めます。オス同士はメスをめぐって争い、競争に勝ったものだけがメスと交尾します。
そうした自由な営みによって、強く優れたオスがたくさん子供を残し、優れた遺伝子が受け継がれることによって、種の保存、そして進化が成り立っていくのです。
愛と信頼に基づいた一対一の関係。それは人間特有のものかもしれません。
ある意味では肉体的な欲望よりも、モラル、道徳、精神を重視する考え方なのです。
愛のモデルと、欲望のモデル。
精神の重視と、肉体の重視。
人間にはこのふたつの方向性があり、そしてそれが入り混じった世界の中で生きています。
だからこそそこにはドラマがあり、浮気や離婚があり、そして……だからこそ寝取られも存在するのです。
寝取られ、NTRとは、まさにこの二つの価値観のぶつかり合いによって起きるものです。
真面目な夫婦が、お互いに愛を誓い合う。
そしてお互いだけを愛して生活している。
彼らは愛のモデル、精神のモデルを信じて生きています。
しかしそこに、第三者が現れます。
それは「別の男」です。
第三者であるその男は、基本的に単独で行動します。
彼女、恋人、セックスフレンドはいるかもしれませんが、長期の真剣な関係を持つ女性というものは基本的にありません。
また、結婚していたとしても、浮気をするのが当然の状況になっています。
その「別の男」は、欲望に素直に行動している人間です。
欲望のモデルを信じて生きている人物なのです。
愛していなければ、失うものもない。
そう考えて、第三の男は様々な女性と関係し、人生をエンジョイしています。
そんな男が、真面目な夫婦を見た時。
社交辞令の裏側に、こんな思いを持ちます。
美味そうな女だな。
やりてえな。
そして、
やれそうだな。
このような思いです。
そして、物語の幕が進む中で、やがてチャンスが巡ってきてしまいます。
なぜなら妻には隙があるのです。
愛と精神性を重視して生きている彼女は、男はオオカミであり、女をいつでも狙っているとは思っていないからです。
そして、いきさつはどうあれ、妻は裸にされ、男に抱かれてしまいます。
これは間違いありません。
その理由は自然なことです。
結局は男と女の間には、誰であってもセックスが成り立つからです。
そしてセックスしかないからです。
そして人間は服を着ているよりも、下着を脱いで裸になる方が自然で気持ちがいいからです。
様々な駆け引きや社会的立場があったとしても、勃起したチ○ポが何度もアタックを繰り返せば、最初は太ももや、お尻や、違うところに当たったり、下着に阻まれたとしても、そのうちタイミングが合って女は下着を脱ぎ、そしてチ○コはオマ○コの入り口に当たり、そしてオマ○コにはチ○コが入るようになっているのです。
それはたとえ、女が人妻であっても変わりません。愛妻家の妻であっても変わりません。たとえ仲の良いおしどり夫婦であったとしても変わりません。
女は女です。
欲望に従って男が熱心にアタックを続ければ、いつかは男の手は女の下着の内側に入るものなのです。そして一度、男の手が下着の中に入ってしまえば……もう元へは戻れません。
そして本当の理由……
どうして妻は男に隙を見せ、そして暗黙の内にではあっても男にオーケーのサインを出し、裸にされてしまったのか。
それは、相手の男が、夫よりも魅力的だからです。
男として、性的に、肉体的に夫よりも優れているからです。
だからこそ、誠実な夫に愛されているはずの妻は、思ってしまうのです。
ほんの一瞬、思ってしまうのです。
「たった一人の夫に縛られているなんて損かもしれない」と。
その一瞬の隙に、男の唇が妻の唇に重なってしまいます。
抱きしめられ、あっと思った時には……その数秒後には男の手が妻の下着の中に入ってしまいます。
唇が重なり、肌に直接手が触れれば、それはもう男と女の関係です。
男は必死に努力し、何度もアタックする必要があるのに比べて、女の浮気は簡単です。男に隙を見せればいいだけです。あとはもう考える間もなく、男の手によって胸を揉まれ、下着の中を愛撫され、先程までは何でも無い赤の他人だった筈の男性と、秒単位で親密な関係になっていってしまいます。
「夫に誠実に愛されて、わたしは幸せだと思っていたけど……でも本当は損をしているのかもしれない」
妻は、ほんの一瞬そう考えただけです。そして、その瞬間だけ、心の中から愛する夫の顔が消えました。
けれど、その一瞬を男は見逃しません。抱き締められ、キスをされた瞬間……妻の身体の中で何かがときめいて……痺れてしまえば……もう引き返せません。彼女は夫と仲の良いおしどり夫婦の妻ではなく、ただの一人の女となってしまうのです。そうなればもう、そこには「男と女」の関係があるだけです。
こうして「仲の良いおしどり夫婦の幸せな奥さん」だったはずの妻は、一時間後にはホテルのベッドで裸になって相手の男と抱き合い、激しいセックスを繰り広げています。
こうなればもう、愛する夫がいても、普段は真面目な女であっても、さっきまで相手の男の事を何とも思っていなかったとしても、関係がありません。
裸になってセックスをしてしまえば、すべて変わってしまいます。
数時間後、ホテルのベッドの上で、さっきまで他人だった第三の男と、妻は裸で抱き合い、激しく気持ちいいセックスの余韻に浸っています。他人の筈だった男と、親密にささやき合い、何度も何度も気持ちを込めてキスを繰り返します。たとえ他人であっても、夫以外の男であっても、妻は快感を味わい、セックスによって心も身体も満たされてしまいます。
こうして妻の男性経験人数が、「夫一人だけ」から、「二人」へと変わります。
たった1増えるだけのカウントですが、これは大きな違いです。
そしてそれはとてつもなく大きな「1」なのです。
なぜならこの瞬間、妻にとって生涯最高のセックスは、たった今経験した「1」であり、そして妻の中で、生涯最高の男性は夫ではなく、今この瞬間抱き合っている相手だからです。
無関係だった筈の第三の男は、セックスの後では、妻にとって「ナンバーワン」になっているのです。
妻はこれまでの人生で、セックスが下手で、男として魅力の乏しい夫しか知らなかったのですから、仕方ありません。
セックスの気持ち良さとは、落差の気持ち良さとも言えます。
肉体的な魅力がなく、セックスの経験もなく、誠実ではあっても、夜の生活は淡白な夫。
当然、チ○ポも控えめなサイズなのです。
そんな夫とのセックスしか知らなかった妻が、突然他の男に抱かれる。
遊び人で、セックスの経験が抱負で、女の扱い方を知っており、また男としての肉体的な魅力がある。
セックスに対して旺盛で、何度でも女を求め、そしてもちろん、チ○コもでかい。
優しく、微笑ましくはあっても、すぐに終わってしまうセックスしか知らなかった妻が、あらゆるところを気持ち良くされ、何度も何度も求められ、そして何度も何度もイカされてしまうのです。
妻にとっては、今まで知らなかった世界。夫が相手では考えられなかった様々なエッチな行為をして、解放感の中、新鮮な楽しさと気持ち良さを味わうのです。
最大の落差を味わうのは、もちろん妻のオマ○コです。
夫の短小なモノしか入れられたことのない妻のオマ○コ。当然、きついのです。
そこにいきなり、相手の男の立派なモノが入ります。
落差を味わうのは女の方だけでなく、男の側も同じ。
「なんてきついオマ○コなんだ!」と感激し、遊び人の男は妻のオマ○コの締め付けを存分に楽しみながら、経験の少ない貞淑な人妻を奪う醍醐味を味わいます。
たとえば今まで12センチのチンポしか入ったことのない妻のオマンコに、いきなり18センチのモノが入ったらどうなるでしょうか。
その衝撃は男の身では想像がつきません。
けれども、まさにそれこそが、私と真由子に起きたことです。
私の大切な恋人であった真由子の初めての浮気。
そのセックスがどれほど激しく、熱いものだったのは、私はその現場を見ていないのでわかりません。
けれども浮気の後、それまで私一人しか男を知らなかった真由子は言ったのです。
「一生あなた一人だけなんて、わたしは嫌」
真面目で誠実な、そして可憐な恋人だと思っていた真由子。私と純愛で結ばれ、将来を誓い合った筈の大切な女性。
初めて他の男に抱かれてしまった後、彼女はそう言い放ち、そして私の寝取られ人生が始まったのです。
男に抱かれて……私以外の男とのセックスを経験して……真由子は変わってしまったのです。
いや、そうではない。
彼女は自分の中にあった本性に目覚めただけなのです。
女としての本性に。
「もっと、いろんな男と気持ちいいことをしてみたい」
そんな欲望に、彼女は目覚めたのです。
愛を信じていたはずの、精神的な価値観を信じていたはずの妻。
すべてが変わってしまうようなセックスの後、彼女の心と身体は、欲望に身を任せて生きる方の価値観へと、少しずつ揺らいでいきます。
何でもない他人だった筈の男。
わたしが愛しているのは大切な夫ただ一人。
そう思っていたのに。
軽蔑すべき、軽薄な男だと思っていたのに。
裸になってみたら、すべてが逆だったのです。
第三の男とセックスをする方が、ずっと楽しく、気持ち良く、そして幸福な気持ちに満たされたのです。
妻は新しい価値観に目覚めます。
セックスって、こんなに気持ちいいんだ。
恋愛って、男の人との関係って、こんなに気持ちいいんだ。
相手の男とのセックスは一度きりではなく、何度も何度も愛されるようになり……
そして真面目で誠実だったはずの妻が……彼女の男性経験人数のカウントが、3人、4人、そして5人と増えていくまでに、そうなればもう、時間はかかりません。
純愛によって結ばれて結婚した夫。
その真面目な夫のものだったはずの妻の白く可憐な美乳が、こうして何人もの見知らぬ男によって、べろべろと舐め回されていきます。
純愛を誓い合い、生涯お互いだけと誓って結ばれた二人。
けれどそんな妻のオマ○コには、結局他の男のチ○ポが入れられてしまう。
純愛が破られ、妻の股間に一人、二人、三人と、違う男のチ○ポが入ってしまうのは、時間の問題だったのです。
その理由は今まで述べた通り。
世の中には、純愛の価値観だけで生きている人間だけではないからです。
むしろ、自然のまま……欲望の価値観で生きている人間の方が多い。男と女にとっては、むしろその方が自然なのです。
だからこそ、その自然の法則に逆らえず、たとえ夫がどんなに望んでも。
また妻がどんなに抗おうとしても。
結局はその自然の法則によって、やがて妻は第三の男の手で下着を脱がされてしまいます。
世の中には、可憐な妻を狙って、欲望のままに生きている男がいっぱいいるからです。
そして、それらの男は、肉体的に優れています。
肉体だけでなく、女をモノにする戦略にも、そしてセックスそのものにも優れています。
寝取られた夫に出来ることは何もありません。
寝取られというのは、妻がいい女だからこそ起こります。
誠実だが魅力に乏しい夫、真面目だが可憐で美人な妻、そのパターンが典型です。
そして寝取る側の男は、不思議とセックスが強いものです。
肉体的に、男として自信があるからこそ、欲望のままに生きることを選ぶからです。
健康で逞しく、セックスも上手く、女の扱いも上手い。もちろんチ○コもでかい。
そういった男が人妻キラーとして、寝取り専門、他人の女に手を出す美味しさを覚え、おしどり夫婦や、純愛カップルの女を狙い、落として、自分のモノにしていくことになります。
それはまさに自然の法則によって起きるものです。
寝取られは、人間社会の中で、恋愛をめぐる価値観の衝突によって起きる自然現象です。
これが、魅力的な男と、あまり美人でない女のカップルであった場合には、別の展開になるのだと思います。浮気性の夫と、それを許している妻。そういう夫婦も、世の中にはたくさんいることでしょう。
そのようにして妻を他人にヤられてしまっても、夫婦の関係がやめられない。
それが、ドロドロの寝取られ地獄へと落ちていくカップルです。
妻が他人に抱かれてしまったのに、妻をあきらめられない。
妻が他人と深い関係になってしまったことが信じられない。でも現実は、妻はヤられてしまった。
そんな筈はない。だけど、妻は他人のモノになってしまった。だけど、妻を失いたくない。
混乱と絶望の中で、夫の中でどす黒い感情が大きくなっていく。
そして、いつしか……いつの間にか。
いつしか夫の中で、妻が他人に抱かれることが快感になってしまう。
妻の肉体が他人に奪われることで、なぜだか自分が気持ちよくなってしまう。
これはきっと夫の中で起きる、精神の防御反応でしょう。
壊れた純愛の破片……それにしがみつく哀れな夫の末路なのです。
妻もまた、夫の見ている前で、他人に抱かれることが心地よくなってしまう。
これもまた、女の本能がもたらすものでしょう。
女にとっては、自分を誠実に守ってくれる男と、様々な男との自由なアバンチュールを、同時に得られるのですから。
愛の価値観がもたらす安定と、欲望の価値観がもたらす快感の両方が得られる……女にとっては、寝取られ夫婦の関係は、実はとても理に適ったものです。
寝取られ地獄にはまった夫婦にとって、もはや夫婦二人でするセックスよりも、妻が他人に寝取られるセックスの方が、お互いにとって気持ちよくなってしまいます。
純愛の末路。
愛を誓った代償。
その代償が、妻の股間には何本、何十本もの男のチンポが突っ込まれ、夫はそれを見てオナニーを繰り返すだけという、哀れで悲惨な光景です。
だけどその中には、二人だけにしかわからない快感と、壊れてはいても、決してなくならない愛の形がある。
当ウェブサイト、そして私、八ヶ岳の官能小説がテーマとしているのは、そのような底なしの寝取られ地獄にはまってしまったカップルの、そして夫婦の、運命の行き着く先です。