初恋の花のゆくえ
初恋の人と結ばれ、特別な日に、初めて夜を共にする。
それはどれほどの幸福でしょうか。
まだ若かった頃、私は大好きな恋人である真由子と初めての夜を過ごしました。
それは私にとっては初めてのセックスでした。
そして真由子にとってもそれは同様でした。
処女と童貞。
そのセックスは果たして良いものだったでしょうか。
もちろん気持ちの上では幸せで一杯でした。
私の心は、大切な女性とひとつになれた喜びで一杯でした。
しかし次第に気付いてしまいます。
彼女が、あまり感じていないような気がする。
ひょっとして彼女は、セックスが好きではないのだろうか。
僕は彼女とセックスがしたくてたまらないのに、彼女は僕とのセックスを嫌がっているような気がする。
こうした事を、直接言葉で言ってくれる女性は多くはありません。
真由子も、セックスの後は、幸せだよ、愛してるよ、と優しい態度を見せてくれていました。
けれども本当のことは、言葉にしなくても、身体が知っています。
処女と童貞、初めてのセックスで、お互いの身体の相性が合う確率はどれくらいあるでしょうか。
身体の相性……それは、互いの気持ちの問題や、抱き合った時の相性もありますが、最終的には下半身の問題……つまりはチ○コとマ○コの相性です。
初めて結ばれた相手が、偶然にもチ○コとマ○コの相性がぴったり。そんなことがあるでしょうか。
愛し合って結ばれた二人なのだから、チ○コとマ○コの相性も抜群。当然のようにそうなるものでしょうか。
現実には、そんな確率は高くはありません。
たとえ純愛で結ばれた恋人同士であっても、チ○コとマ○コの相性は、恋愛感情とは無関係なのです。
自分に合った相手を見つけるためには、靴を選ぶように、あるいは洋服を試着するように、いくつもいくつも実際に着てみて、試してみるしかありません。
何足もとっかえひっかえ靴を試着して、そして実際に歩いてみなければ、自分の足にぴったりな靴は見つかりません。
それと同じに、女の子も自分のオマ○コに合うチ○ポを見つけるために、たくさんセックスをしなければならない……
童貞を卒業したばかりの私には、そんな簡単なこともわかりませんでした。たとえわかったとしても、認めたくありませんでした。
そしてセックスそのものも、私にはわかっていませんでした。女性をどう扱ったら、感じさせてあげられるのかをまったく知らない。そして自分のチ○ポが他人に比べてサイズが小さいことも、私はまだ知りませんでした。
一生懸命彼女を愛しても、身体を通じて伝わってきてしまうのです。彼女が満足していないことが。
セックスが盛り上がらない。何の盛り上がりもないままに、あっけなく終わってしまう。終わった後には、どこか満たされないものが残る……気持ちの上では幸福な筈なのに。
互いに処女と童貞を卒業し、幸せな純愛カップルである筈の私達。
けれども私は、二回、三回、四回と、彼女とセックスを重ねる度に、心が迷子になっていきました。
そして心だけではなく、チ○コも迷子になっていたのです。
彼女の……真由子のオマ○コの中で、私の短小チ○ポは、彼女の中の気持ちいいトコロにはどこにも当たらず、まるで暗い闇の中、あるいは広い海の中で……迷子になっていたのです。
彼女の中に自分のチ○ポが入る度に、それが私が感じていた正直な感覚でした。
彼女の夫として、長い結婚生活を過ごして来た今ならわかります。もう少しだけ彼女のオマ○コの中のことがわかります。
年月を重ねる中で、彼女のセックスの感度も良くなり、そして彼女のオマ○コは、夫である私の短小チ○ポに合わせてくれるようになりました。
優しい愛撫を経て、彼女の中に入れば……真由子の……私の妻の……きついオマ○コが私のモノをぴったりと包み込み、締め付けてくれます。それはまるで、彼女が全身で私を抱きしめてくれるよう……私は幸福で天にも昇るような気持ちになります。
けれどもそれは、どんな男でも……大きなチ○ポも、小さなチ○ポも、平等に迎え入れて包み込む、真由子のエッチさの表れなのです。たくさんの男に抱かれて、気持ちいい経験をいっぱいした事で、彼女のオマ○コは他の男だけでなく、夫の私にも合わせてくれるようになったのです。
どんな男でも、初めて真由子にチ○ポを入れた時には、そのきつさと、ぴったりと包み込む締め付けに感激します。ほとんどの男性は驚いて大喜びします。普段の夫婦生活では短小の私を相手にしているので、他の男性が真由子に入ると、まるで処女のようにきついのです。それはギャップから来る気持ち良さです。夫である私のサイズと、相手の男性のサイズの差が生み出す、ギャップの気持ち良さなのです。そのギャップを感じているのは、真由子を抱いた男性だけではありません。誰よりも女性である真由子自身が、そのギャップを瞬間的に感じ、それは衝撃となり、その衝撃が喜びとなり、男が入った瞬間、真由子は「あぁぁっ」という素っ頓狂な声を上げるのです。
たくさんの男性と気持ちいい時間を経験した真由子の子宮は、どうしたら自分が気持ちよくなれるのか、もうよく知っています。
気持ちが高まってくると、真由子の子宮が次第に下へと降りて来ます。それは女の肉体が男のチ○ポに対してする挨拶であり、また私のような短小チ○ポ男にとってはサービスタイムとなります。この時だけは……真由子の子宮が最大限に下に降りてきてくれた時だけは、私のチ○ポでも、真由子の子宮の入口にちょっとだけ当たるのです。
一生懸命、そこに少しでも触れようと、彼女の身体の中にある、彼女の一番エロティックな子宮の唇に少しでもキスをしようと、私の短小チ○ポは一生懸命背伸びをして、ちゅっ、ちゅっ、と子宮口に触れます。一回、二回、三回……運がよければ、それが十回ほどになることもあります。この時だけは真由子も気持ち良さそうです。色っぽい声を出してくれます。夫の私が聞くことの出来る、真由子の一番色っぽい声です。
しかし、私に出来るのはここまでです。
その後、真由子が「もっと」と言い、彼女が気持ちを高めようとしているのに、私はそれ以上、彼女の子宮を追いかけることが出来ません。
緊張と弛緩のサイクルの中、誘うようにして奥へと戻っていく子宮を、私の短小チ○ポはもう追えないのです。もっと奥まで来て、真由子の子宮はそう言ってチ○ポを、さらに奥へと誘っているのに、私のモノはそこには届かないのです。どう頑張っても、です。どれだけ突いても、です。挿入が深くなるように、どんなに体位を工夫しても、です。それは、長い結婚生活の中で、もう結論が出ているのです。
そうなってしまえば、後はいつもと同じです。哀れな私のチ○ポは、童貞を卒業したばかりの頃と同じように、彼女のオマ○コの中で置き去りとなり、広い海の中を、暗い闇の中をさまよいます。
やがて、高まりを期待していた真由子の興奮は頭打ちとなり、次第に落胆へと変わっていきます。抱きしめた身体を通じて、その落胆は私にも伝わります。ああ、やっぱりここまでか。そう思いながら、私は程なく限界に達し、彼女から抜いて……時には彼女が許してくれる時には中のままで……自分の欲望を短小棒から放出します。
後には、どこか満たされないものが残る……本当は幸せな筈なのに。
夫婦のセックスが終われば、私達はお互いを慰め合い、優しい時間となります。
それは純愛によって結ばれた夫婦だからこそ持つことの出来る、他人にはわからない幸福な時間なのかもしれません。
けれども、私は知っているのです。
見てしまったからです。
もう何度も。
若かった真由子の姿を。
そして、美人の奥さんと言われるようになった今では、その何倍も色気が増した姿を。
互いに処女と童貞を卒業してから、一年も経たない頃でした。
幸せだよ、わたしはこれで満足だよ。
たとえ口でそう言ってくれていても、身体はそうではなかったのです。
なぜなら女性は頭ではなく、子宮で考える生き物です。
口から出てくる言葉を、真に受けるべきではありませんでした。
ふとしたきっかけで、真由子は男に抱かれ、その相手と一晩たっぷりかけて、濃密な時間を過ごしてしまいました。
純愛を信じていた私は、そして彼女の愛の言葉を信じていた私は、彼女が浮気をしたことが信じられず、彼女を問いつめました。
「気持ちよかった」
その時になって彼女は今更のように言ったのです。
「わたしだって、他の男の人とエッチしてみたかった。あなた一人だけじゃなくて」
「他の男の人はどうなのかなって、本当はちょっと思ってた」
思い返してみれば、それは彼女が、初めて私に本音で語ってくれた言葉です。
この時、私は真由子と別れるべきだったかもしれません。
一生涯愛を貫く相手としては、ふさわしくない。
そんなふうに考えて、すっきりと別れていれば、こんなにみじめな人生を……性生活を過ごすことはなかったかもしれません。
しかし、それでも別れられなかった私と真由子は、互いの歪んだセックスへの興味と渇望が重なり、通常ではあり得ない世界へと踏み出してしまいました。
やがて私は、真由子が他人に抱かれている様子を、その声を、一部始終を、電話越しに聞かされました。
彼女は、真由子は、私とのエッチでは聞いたことのないような声を上げていました。
私はAV女優のような色っぽい声は、演技だと思っていました。だけどそれは演技ではなく、本当にセックスの時に女性はすごい声を出すのだということを、私は知りました。
そして私は、自分の目の前で真由子が脱がされ、裸にされ、愛撫され、抱かれる様子を見てしまいました。真由子が他の男と、数えきれないほどのキスを、舌を絡めてする姿を、生唾を飲み込みながらじっと見つめました。裸で抱かれ、入れられ、それだけでなく、中に出されてしまうところまで、何度も見せられました。
そして私は、真由子が喜んでいる姿を見たのです。
大声を上げて、相手に抱き着き、「いい、いい、すごくいい、気持ちいい、気持ちいい」と大声で叫んでいる姿を見たのです。
そして、いかされ、遂げられた真由子が、全裸で目を閉じたまま、頬をピンク色に染め、すべて満たされて幸せそうに余韻に浸っている姿を見たのです。
真由子は今、天国にいるんだ。
私にはそれがわかりました。
私では彼女を、そこまで連れて行ってあげられないこともわかりました。
そして、幸福感に浸って裸で横たわる真由子の姿は、今までに見たどんなものよりも美しかったのです。
今まで自分が見たどんな彼女の姿よりも、美しく、可憐で、神々しい程で、まさに女神のような真由子の姿だったのです。
セックスというものは不平等だと思います。
そして愛というものは不公平で矛盾に満ちています。
私の短小チ○ポでは、彼女を高めてあげるためには少なくとも数センチ足りません。
それは長い結婚生活を経て出た結論です。
でも彼女の子宮は、初めて私が彼女に入った時から、とっくにそれをわかっていたのかもしれません。
だからこそ真由子は、彼氏がいるのに他の男に隙を見せ、誘われるままにホテルの部屋に入ってしまいました。
先ほど書いた夫婦のセックス。
実際にはそこまでたどり着くことも稀なのです。
いつもはそこまで行くことすらなく、彼女の子宮に少しも触れないまま、私は限界に達してセックスが終わってしまいます。
妻を心から愛している私は……真由子が大好きで仕方ない私は、彼女の身体が本当にきれいなので、私は魅了され、いつもあっという間に興奮して達してしまうのです。
好きだからこそ……愛しているからこそ、彼女をセックスで喜ばせることが出来ない。
真由子のことを愛していない、純粋に欲望の目線で見ている男の方が、却って真由子を感じさせて、セックスで夢中にさせ、彼女を女として天国へと連れていける。
真由子の性感を高め、身体を開発し、女の喜びを教え、大人の女へと変えたのは、夫の私ではなく、これまで彼女を抱いていった数々の男達です。
彼女のオマ○コが締まりのいい名器になったのは、たくさんの大きなチ○ポに数えきれないほど突かれ、下半身に快感が刻み込まれたからです。
愛していた美しい花を、私は手に入れました。
純愛の末に愛していたかけがえのない女性を妻としたのです。
けれど、その美しい花は、男の欲望の目線に晒された時に、最も美しく咲くということを私は知りました。
そして花は散るものです。
その美しさで虫や動物を引き寄せ、弄ばれ、汚され、あるいは食べられて、最後には散ってしまう。だからこそ花は美しく、だからこそ散った後には、果実が実るのです。
それこそが自然な姿なのです。
美しい花は、愛されるのが運命です。
そして女性という花は、抱かれ、舐め回され、入れられ……ふさわしい男性に愛され、食べられる瞬間こそが、最も美しい。
その結果、彼女と男との間に、愛の行為によって結ばれた実が成り、可憐な花は母となり、女としての強さ、そして美しさを増していく……
けれども夫である筈の私は、男としてそのプロセスにまったく関わっていません。
美しく変わっていく真由子の側で、私は置き去りにされたまま、みじめに一人の行為を繰り返すだけです。
世間は私の事を笑っていることでしょう。
ですが、彼女のもっとも美しい姿を見ることが許されただけでも、私の純愛は報われたと言えるのかもしれません。