寝取られ子作り論
私は寝取られ性癖を持つNTR愛好家ですが、寝取られ愛好家の立場で現代の少子化問題を考えています。
現代では日本ばかりでなく世界規模で少子化が進んでいると言います。その傾向は特に先進国で顕著なのだそうです。
そこには様々な理由が存在する事が指摘されています。しかし現代の若者は未来に希望が持てないのだそうです。悪化する地球環境、混迷を極める政治状況、緊迫していく国際情勢、低迷を続ける経済、そういった事由により人類の将来に希望が持てず、子供を作る事をためらうのだそうです。
このような状況が続けば、社会から活力が失われ、人類が衰退していくのは明らかです。
また現在においては社会の変化により、結婚や家庭というものの形が多様化し、かつてのような結婚制度、家庭といったものが成り立たなくなっています。
妻を愛しつつも、その大切な妻を多くの男性に抱かれてしまった経験を持つ寝取られ愛妻家である私。
私はそんな寝取られ夫の立場から、寝取られによって少子化を解決する方法を考えています。
寝取られによって子供を作り、寝取られによって産まれてきた子供を皆で育てていく社会を夢見ているのです。
子供を作りたい、子孫を残したいというのは人類の本能です。
そこには新たな命が生まれる喜びがあります。
男と女のロマンスも、セックスの快感も、その命が生まれる喜びがあればこそです。
寝取られ夫である私も、その本能を持っています。それは子孫繁栄の本能です。
しかし私の場合、その本能が少しだけ一般的な男性と違っているのです。
愛する妻に子供が生まれる事を望んでいる。
けれどもそれは、自分の子供でなくてもいい。
新たな命が生まれる事に喜びを感じる。
けれどそれは、妻と他人とが結ばれて出来た命。
男と女がひとつになることに感動を覚える。
でも、ひとつになっているのは、妻と見知らぬ男。
妻の出産に立ち会い、命の奇跡と、母となる女性の強さに感動する。
でもその赤ん坊の父親は、旅行先でお酒に酔った妻に声をかけ、一晩中好き放題に妻を抱いていった名前も知らない男。
寝取られ性癖の私には、子孫繁栄の本能はあっても、そこに自分の子孫という部分が抜けているのです。
それは恐らく私が男として不完全だから……オスとしての能力の弱さが原因でしょう。
自分がオスとして弱い事を知っているので、愛する女性に出会い、恋をしても、自分の劣った遺伝子よりも、他の強い男の遺伝子を残す方が良いと、本能的に判断してしまうのです。
だからこそ、大切な妻が他の男に寝取られて抱かれてしまう事を、本能的に快感と感じるのです。
そして、妻を女としてより喜ばせてくれる男性を、妻と一緒になって探してしまいます。
これもひとつの生命の神秘、人類がより良い子孫を残そうとする本能のひとつの表れなのかもしれません。
私は純愛主義の男ですから、男と女が結ばれる事には精神的なロマンを感じます。もともと女性にモテないタイプの私は、心の中で女性を美化し、女性に憧れる、精神的な童貞なのです。
ですから、妻が他人に寝取られてしまう時には、そこで行われるひとつひとつの行為にドキドキとし、ロマンチックに気分が高まります。男と女が結ばれることにロマンを感じ、感動しながらその行為を見守るのです。たとえ、結ばれるのが自分の妻と、見知らぬ男だったとしても。
恥ずかしながら私は妻と二人でラブホテルに入った事がありません。
なぜなら、私達がラブホテルに入る時は、いつももう一人の男性がそこに居たからです。
結婚前、まだお互いが二十歳そこそこの若い頃からそうでした。私達はドキドキしながら、メールのやりとりをしただけで本名も知らない男性と、三人でラブホテルの門をくぐったのです。
エレベーターの扉が閉まり、5Fのボタンを押すと、私は気まずい思いを感じながら、ちらりと隣にいる真由子を見ます。さっきまで真由子は私と手をつないで歩いていたのに、今はもう違います。狭いエレベーターの中、真由子は男性に寄り添うように立ち、その手は男性に握られています。真由子はもう……私のものではないのです。
ホテルの部屋に入り、大切なシーンを記録しようと私が鞄の中からカメラを取り出している間に、真由子と男性は抱き合い、キスを始めてしまいます。
私の中に、自分が初めて真由子とキスをした時の事が思い出されます。10代の頃、何ヶ月もかけて仲を深め、必死で告白し、何回もデートを重ねて、やっと辿り着いたファーストキス。
目の前の男性は、先程待ち合わせた場所で真由子に出会ってから十分も経っていないのに、もう真由子と舌を絡めてキスをしています。何度も、何度も、お互いに舌を絡めて……求め合い、むさぼるように……
私は嫉妬と興奮で胸が高鳴ります。
その嫉妬はずっとなくなりません。けれど、興奮と感動が高まり、やがて私は何も考えられなくなります。
真由子のブラウスのボタンが外され……
ベッドに寝かされて……
そしてブラジャーも取られてしまい……
メールでやりとりした仮名しか知らない年上の男性が、真由子のおっぱいを舐め回します。
ああ、なんてきれいなんだ……!
真由子のおっぱいは、そしてそれを男がなめ回す様子は、なんて美しくて感動的なんだ……!
ひとつひとつのキスに、愛撫に、男と女の触れ合いに、私は神秘とロマンを感じ、感動でいっぱいになります。けれど胸の奥にはわずかな嫉妬が針のように残っていて、それがチクリチクリと痛み続けます。
前から抱かれて……後ろから抱かれて……互いに抱き合って……上下に激しく揺れて……
愛し合う男と女の姿は本当に感動的です。
そして男性に愛される真由子の姿は本当に美しいのです。私には真由子の姿が女神のように見えています。
その美しい女神が、この男のモノになってしまう……
激しい行為によって部屋の温度は5度以上も上がり、そして真由子の甲高い喘ぎ声の果てに、男性が射精します。
「うおーっ、おーっ」
苦しそうなため息をつきながら、男性は真由子の奥深くまでピストンを突き入れ、動きを止めて発射します。男性のお尻が震え、引き上げられた睾丸がぴくぴくと動き、私は男性と真由子の結合部分を必死で眺めます。真由子の中で、すごい勢いで男性の精液が噴射されているのがわかります。
そして男性が真由子の中にすべてを遂げるのを眺めながら、私は涙が出るほどに感動します。男と女がひとつになり、真由子と男性が結ばれ、新しい命が出来るのです。真由子の子宮の中には今、何億という数の男性の精子が流れ込み、卵子に向かって泳いでいます。
射精を受け入れながら、真由子は目を閉じ、頬を紅潮させて、なんともいえない幸せそうな表情になり、私は彼女が天国にいるのだとわかります。
私は思わず心の中で、おめでとう、おめでとう、と繰り返しつぶやきます。
私が恋をした大切な女性は、こうして今、男と結ばれて、母となり、子供を産んで、人類の未来に子孫を残していくのです。とてもロマンティックで感動的です。
私の心は嫉妬でチクリと痛みますが、いいのです。裸の真由子を抱き締めている男性は、自分とは比べ物にならない程にたくましく、男らしく、素敵な男性です。これが本物のオチ○チンなのだと、自分で比較してそう思ってしまいます。そして、そんな男性の逞しい腕で抱かれている真由子の姿は本当に美しく、抱き合う二人の姿に、私はまるでギリシア彫刻でも見るように美しさに感動し、この二人は運命で結ばれるべきお似合いのカップルだと、私は素直に思ってしまうのです。たったそれが一晩のセックスだったとしても、本気で愛し合い、肉体的に結ばれて、お互いの遺伝子がひとつになって父と母となり、未来永劫に子孫を残す……男性にはその資格があると感じるのです。
僕は真由子がこの男性と結ばれて出来た子供を、自分の子供として育てよう……私は心の中で密かに覚悟を決めます。僕はそれでいい。僕は子供を愛することが出来る。真由子の子供なのだから。そして真由子は、こんなにいっぱい感じてしまったのだから。男性とのセックスで、あんなに感じさせられて、夢中になってしまったのだから……僕は納得出来る……真由子が女として、あんなに感じさせられて、女の喜びを与えてもらって、その結果出来た子供なのだから……
真由子はこのように、私の目の前で、時には私の知らない所で、たくさんの男性と愛し合い、結ばれてきました。
もちろん、真由子が妊娠した回数は、実際に抱かれた数にくらべればずっと少ないものです。人間とは妊娠しにくい生き物だからです。
けれど、私の経験から言えば、自分の血を引いていない子供であっても人間は愛する事が出来ます。
セックス、つまり子供を作ることは、誰もが持っている本能です。しかし、子育てはより社会的なものです。社会的な行為であって、学ぶことが必要です。
そして、親として子育てをするにも適性があるように思います。私は男として女性をモノにするセックスの適性はありませんでしたが、生まれてきた子供を育てる適性は比較的あったようです。だからこそ私は真由子と夫婦となり、幸せに暮らす事が出来ています。
このように子供を作り、生み育てていくためにも、多様な形があると感じます。
私の意見では、子供を作る事が得意な男性と、子供を育てる事が得意な男性は違います。
子供を作る事が得意な男性は、逞しい肉体を持ち、攻撃的な性格で、ひとつの所に留まりません。
子供を育てる事が得意な男性は、肉体的には優れておらずとも、優しい性格で、妻や家族を大切にします。
現実には男性はこのふたつのタイプの中間のどこかで生きています。両方の性質を持った男性も時には居るでしょう。
どちらのタイプの男性を選ぶかは、女性次第です。
けれども後者の優しい男性を選んだ女性も、結局その後で前者の逞しい男性と肉体関係を持ったりします。
寝取られ夫婦……その妻、寝取られ夫の愛妻である「寝取られ妻」は、前者の男も、後者の男も、両方キープしてしまう希有な存在です。前者の男と子供を作り、性的な関係を続けた上で、後者の男に育ててもらい、夫として尽くしてもらう。
ある意味では、寝取られ妻こそが勝利者であり、もっとも「とんでもない」存在です。私は正直、そう思っています。
強い男の遺伝子も、守り育ててくれる忠実な下僕も、両方手に入れる。多彩な男性遍歴も、一途な愛情も、両方手に入れる。肉体的なセックスの快楽も、精神的な充実も、両方手にしている。寝取られ妻はそのような存在なのですから。
私はおそらく、他人の手を借りなければ子供を作れなかったでしょう。
真由子と恋人となり、付き合い始めた頃、何年もの間、私はセックスに消極的でした。
そしてセックスをする事にどことなく恐怖感がありました。私はいつも、とても丁寧にコンドームを付けていました。コンドームを付けた上で、しかも真由子から抜いてから射精するようにしていました。
真由子に言われても、生で真由子に挿入することに抵抗がありました。ある時ほんの少しだけ、どんな感じが体験したくなり、コンドームを付けずに真由子の中に入った事がありました。時間にすれば、ほんの10秒足らずの挿入です。
それでも私は怖くなり、大変な事をしてしまったと、後悔の念を感じました。
普通の男性なら逆なのではないでしょうか。
恋人の中に、生で挿入したい。
中で出したい。
中で思い切り射精して、子宮の中に注いで、精子を卵子に命中させたい。
そんなふうに男の本能で愛の銃を撃ち、それを女性の大切な部分に命中させて、彼女を自分のモノにしたい。
そんな願望があるのではないかと思います。
けれど、私はその銃を撃つことが怖かったのだと思います。
そして、だからこそ寝取られ性癖となったのでしょう。
妻の真由子は、美しく、けれど天然で、世間知らずで無防備な女性でした。
私はそんな彼女を大切にし過ぎました。
オチはお分かりの事でしょう。
お互いに処女と童貞を捧げた後、私は真由子に二年近くの間、いつもコンドームを付けて、かつ外で出すセックスしかしておらず……先程書いた、ほんの10秒足らずの生での挿入以外は……
その結果、まだ二十歳になるかならないかの彼女と、初めて生でセックスし、そして中出しして子宮の中に精子を注ぎ込んだのは……私ではなく、彼女が飲み会で出会った見知らぬ男だったのです。
それは私にとって大きなショックでした。
私は、大切な彼女を大切にし過ぎて、彼女を男として本当に自分のモノにする勇気がなかったため、いつまでもぐずぐずしていて他人に先を越されてしまったのです。
男と女の間には、いつも競争があります。それはセックスという競争です。美しい女性に、誰が自分の子供を産ませるかという、動物の生存競争です。
その競争は、結婚して法律上の夫婦となったからといって終わるわけではありません。
だからこそ、いつまでもぐずぐずしている勇気のない私は、自分の子供を作る事が出来ず、大切な美しい女性は、自分以外の男性によって妊娠させられ、見知らぬ他人と結ばれて子供を産んでしまったのです。
子供を作ることには勇気が必要なようです。
そして子供を育てるには愛情が必要です。
私が子供を育てる事が出来ているのは、ひょっとしてそれが自分の子供ではないからかもしれない、そんなふうに思う時があります。
これが自分の子供であったなら、私はもっと感情的になり、子供に対して冷静になれず、過剰に心配し、子育てを負担と感じたのではないでしょうか。
自分の遺伝子を持たない親子の関係だからこそ、与えてあげられるものがあり、出来る事があります。
子育てを個人的なものと考えず、そのように他人も含めて社会全体として考えていく事で、不安を乗り越えて次の世代に命を繋ぐことが出来るような気がしています。
そのためには子育てだけでなく、子づくりの部分も……
私はその子づくりの部分さえも、他人にお任せしてしまいました。
私にとっては、それも忘れられない程に、気持ちいい行為であり経験だったのです。
いろんな男性に愛される真由子の美しい姿は忘れられません。
私は愛する真由子に、たくさんの男性に愛されて、たくさんの子供を産んでもらいたかったのだと思います……
(当ブログの内容はあくまでフィクションとしてお考え下さい)