野外露出と寝取られ
私は若い頃から野外セックスに憧れがあります。
若い頃には、当時まだ恋人だった妻の真由子と、野外の環境で少しだけエッチな事をしてしまった事も何度かあります。
野外でのセックスは気持ちのいいものです。
それは、ピクニックに出かけて野外で食べるお弁当やビールが美味しいのと同じ理由だろうと思います。
私と真由子には、野外での寝取られ経験がないわけではありません。
まだ二十代の頃、プレイという形で、野外、またはそれに近い環境で真由子を抱いてもらった事があります。
けれども次第に歳を取ってきて、二十代の頃に、もっと野外での寝取られを経験しておけばよかったという思いが強くなってきました。
寝取られ性癖の男は、いつもエッチな事を考えています。
それ自体は普通の男性と変わらないかもしれません。
しかし、普通の男性が、街角でいい女を見かけてエッチな気分になり、ヤりたいな、と思って興奮したりするのに対して、寝取られ夫は興奮するポイントが違います。
私の場合は、寝取られてしまいそうな場所に興奮します。
ラブホテルだけではない。あやしげな夜のお店だけではありません。
人気のない場所、河原の暗がり、夜の公園、工場地帯、薄暗い森……
そんな場所をミニスカート姿の真由子と一緒に歩いていて、もしよからぬ男達に見つかってしまったら……
誰も助けの来ないそんな場所で、私は抵抗も出来ず、真由子は言いなりとなって、男達の欲望のままになってしまう……そんな場面を想像してしまうのです。
ですから、町でいい女を見て興奮するのではなく、場所などのシチュエーションに興奮するのです。
河原フェチ、森林フェチ、橋の下フェチ、非常階段フェチ、そして廃墟フェチも少し入っています。
それは、場所そのものに興奮するのではなく、そんな場所で男にヤられてしまう真由子の姿を想像して興奮するのです。
野外エッチがしたい、野外プレイがしたいというのは、そんな「場所フェチ」「シチュエーションフェチ」の一環と言えます。
しかし現実には野外でのセックスは簡単ではありません。
冬には寒さの問題が、夏には蚊や虫の問題があります。衛生的にも問題があります。
私の場合は誠に情けないのですが、勃起の問題があります。野外で真由子とエッチな事をしようとした時、いつもと違う野外の落ち着かない環境で、いざとなると私のものはまったく役に立たなかったのです。
いずれにしても、実際に試してみれば、やはり人間はセックスをするのは寝室のベッドの上が一番適しているのだという事実に気付かされるでしょう。
寝取られ性癖の男にとっては、野外でエッチをしたいという願望はすなわち、その場で彼女を寝取られたいという願望につながっています。
人目につかない場所で彼女のスカートをめくり上げ、パンツの上から彼女の股間を愛撫していると、その様子を見つけたどこかの男がやって来て覗き見をします。
単なる覗き見の場合もあるでしょう。けれどもっと積極的な男性も居るかもしれません。やって来たのがチンピラの集団だった場合には、私は暴力を振るわれるかもしれません。
いずれにしても、私と二人、恋人同士で抱き合っていた筈の真由子の身体には、いつしか見知らぬ男の手や舌が這い回り……恋人(夫)である筈の私はいつしか見ているだけとなり……そして夜が更ける頃には、真由子の中には何本ものオチ○チンが交代で入れられ、朝までに彼女の子宮の中には何人分もの男の精子が注ぎ込まれます。
ですから私が言う野外エッチがしたいという意味は、野外の人目につかない場所で見知らぬ男性に彼女を奪われ、彼女がヤられる姿が見たい……彼女が見知らぬ男にヤられて欲しい、という願望なのです。
そんなふうにドキドキしながら、二人で夜の町を歩いた事が、恥ずかしながらほんの数回あります。
おそらく、寝取られ性癖を持つ男にとっては、野外プレイや露出プレイは好物なのではないでしょうか。それはこのように、見知らぬ他人に彼女がヤられてしまうという事につながっているから、興奮するのです。
誰ともわからぬ男に、妻の中に精液を注いでもらう。
それは遺伝子の多様性を求める人間の種の保存の本能かもしれません。
聞いた話では、砂漠の民の中には、遠い地から来た旅人をもてなす際には妻の身体を一晩貸し出す風習を持つ民族がいるそうです。それは新たな血を村にもたらすためだと言います。
それは過酷な環境で生きる人間の知恵とも言えます。
字面だけ見ればドキドキしますが、しかしこれは厳密には寝取られとは言えません。
そういった砂漠の民は、おそらく一夫多妻制であり、妻を一晩差し出すと言っても、おそらく何人もいる女の中から一人に夜伽をさせるという意味合いだからです。
寝取られとは、たった一人のかけがえのない大切な女性を他人に奪われる事です。
一夫一婦制の世界観の中で、恋愛、結婚、運命の相手、妻や恋人といった唯一の女性が他の男と肉体的に結ばれてしまう事の不条理……その不条理を快感と感じるのが寝取られ男の心理です。
一夫多妻制や、束縛のない性関係の中では寝取られは発生しません。
肉体的なフリーセックスと、互いにこの人だけという精神的な純愛関係。
そのふたつの世界観がぶつかる場所にこそ、寝取られは存在します。
話を戻して、野外プレイです。
私と真由子は、少しは経験したにしても、振り返ってみればそれほど積極的に野外エッチをしませんでした。
やはりプライベートな場所ではなく、誰に見られるかわからない場所でそのような行為をすることには、社会的な立場としても問題があり、普段は真面目な私達夫婦はブレーキをかけていました。
でも今になって、もっとそのような体験をしておいてもよかったのではないかと考える自分がいます。
しかし、ホテルの中ならまだしも、誰に見られるかわからない、ある意味公共の場所で、真由子の身体を他人にお見せするには……
二十代の若い頃ならまだ出来たかもしれませんが、今では抵抗があります。「いい歳をしてこんな事を」そう思ってしまうからです。ビキニを着て海に行くにも、年齢制限を考えてしまうのと同じです。
けれども、二十歳の頃とは違うとは言っても、妻の真由子はまだきれいなプロポーションを保っています。肉体的にも、まだまだ妊娠可能な年齢です。
思い切って妻にビキニを着せて、海に行くのも良いかもしれません。
そして夜の海岸で、誰かの手でそのビキニの紐が解かれ、はらりと落ちて、若い男の手で、名前も知らないまま妻が愛される……私はそれを岩陰で見守る……
まだ私達に、そんな経験が出来るでしょうか。