最大の暴力は快感

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寝取られ夫として、妻をたくさんの男性に愛され、目の前で愛する妻を抱かれ、好き放題にヤられ、時には半ば強引に犯され……その中で快感と興奮と嫉妬を味わってきたNTR愛好家として、私はセックスを考える時に、どうしても暴力について考えてしまいます。

寝取られというのは多かれ少なかれ、暴力だからです。
どうしてもそこには、欲望を伴う悪の行為が存在します。

幸せな夫婦を男達が襲って、奥さんをレ○プする。それは暴力です。

奥様をお酒に酔わせて、判断力が鈍ったところを抱いてしまう。それもアルコールの力を借りた暴力と言えます。

また、言葉巧みに奥様を騙して、誰もいない部屋に連れ込んでしまうというのも卑劣な行為であり、広い意味での暴力と言えるかもしれません。

そこには人間社会の倫理から言って、悪、あるいは卑劣と言える要素がどうしても入り込みます。

ですがここに矛盾が存在します。
女性の身体は、それを卑劣とは考えないのです。
女性の肉体……子宮には、善悪の概念がないからです。

たとえ無理矢理に犯されたセックスでも、たとえ騙されて抱かれてしまったセックスでも、たとえ女に夫が居たとしても、
セックスをすれば、女性の身体は相手を受け入れ、子宮は男の子供を宿します。

子宮が理解する、たったひとつの概念。子宮が理解する、たったひとつの言葉。
それは快感です。
快感によって、子宮は男を受け入れ、快感によって新しい命を生み出します。
母親となり、子供を愛し育てるのも、おそらくはこの快感ということが元になっています。

女を、母へと変えるのは、おそらく快感です。

男女の愛の行為であるセックス。
それは、かけがえのない相手との行為である以上は、精神的なものであるべきです。
けれども、そのセックスの中心にあるのは快感です。
セックスという行為は、最初から最後まで、快感に支配されているのです。
そして、その快感を求める欲望に支配されています。

セックスに善悪の概念はありません。
子宮は相手の男を善悪で判断しません。
いや、セックスが欲望と快感に支配された行為である以上、むしろそこで勝利するのは、自らの欲望に正直に生きる悪人です。

数人がかりで夫婦を襲い、奥さんをレ○プする。
それは欲望に正直な行為です。社会的には卑劣な行為ですが、それでも奥さんは、相手の子供を妊娠します。

人妻を酒に酔わせて、ホテルに連れ込む。
それは欲望に正直な行為です。社会的には非難されますが、それでも奥さんは、男の子供を妊娠します。

そしてそこには快感があります。
欲望が強いほど、快感も強くなる傾向があります。そして人間というものは、卑劣で悪どい行為の方が、欲望も快感も高まってしまうのです。

数人がかりで一晩中抱かれる奥さんは、夫とのセックスでは決して得られない強烈な快感を味わうでしょう。

行きずりの男とお酒に酔って抱き合った奥様は、普段夫を相手にしている時とはまったく違った解放感の中、同じ男とは思えないほどに、夫とは比べものにならないセックス本来の快感を味わうでしょう。そしておそらくセックスは一回限りでは終わらず、その快感は何度も、何度も繰り返されるでしょう。

人間はセックスの時にどうして快感を感じるのか、私は不思議に思っていました。

けれど、たくさんのセックスを経験し、私は少しずつわかってきました。

いや、書き間違えました。私はたくさんのセックスなど経験していません。
数えきれないセックスを経験したのは妻の方です。

私は愛する妻を、数多くの男性に寝取られて、目の前で妻が愛される姿を、ヤられてしまう姿を、犯されまくる姿を……何度も何度も見て……
そして妻が裸で快感に喘ぐ姿を、泣きながら見つめ続け……
自らも自分のモノをしごいてオナニーに明け暮れ、
私も妻も感じさせられて股間がぐちゃぐちゃとなり、
腰が抜ける程に何度もヤられ、快感が刻み付けられ、
その果てに相手の男の子供を妻が身ごもり、
それでも私は、そんな妻の姿にオナニーがやめられず……

そして理解出来たのです。
快感とは、人間を強制的に親へと変えるスイッチだとういことが。
快感こそが、人間を親へと変えるのです。
それは次世代に命を繋ぐための生命の神秘と言えるかもしれません。

快感とは究極の暴力です。
快感に抗える人間は居ません。

快感によって、少女は強制的に女へと変えられ、そして女は母へと変えられるのです。

セックスとは究極の愛の行為であると同時に、究極の暴力の行為でもあります。

私の愛する妻である真由子。
その真由子が、見知らぬヤリチン男にヤられて、必死で快感の声を上げます。
男の大きなチンポは言っているのです。
「おい、俺はお前に俺の子供を産ませるぞ。お前はこれから母親になるんだぞ。俺の子供をしっかり育てろよ」
そのメッセージは快感という形で、女の身体に、そして本能に刻まれます。
おそらくチ○ポが大きくて立派なほど、その声は強くなるのです。

「はい、はい、わかりました。わたしは貴方の子供を産みます。母親になって産み育てます」
女の喘ぎ声は、それに対する応答です。動物的な喘ぎ声を上げることで、本能の声で、「はい、はい」と男に応え、母親になることを誓っているのです。それはすべて快感となって脳に刻まれるのです。

私の愛する真由子は、こうやってたくさんの男に応え、相手のすべてを受け入れてきました。
そしてとある男性と結ばれ、女となり、母となったのです。
たくさんのチ○ポに愛され、快感を与えられることによって、少女だった真由子は女へと変えられ、そして母へと変えられたのです。

寝取られ夫は、この本来女性が受け取るべき快感のメッセージを、妻と一緒になって受け取ってしまいます。
なぜならそこには快感があるからです。
男なら本来は自分のチ○ポで女に言うことをきかせ、自分の子供を産ませなければならないのに、
寝取られ夫は、妻がヤられる姿を見て……妻が他の男と結ばれるシーンを見ながら……自分も気持ちよくなってオナニーを始めてしまうのです。
その快感は強烈です。
寝取られ夫にとっては、自分の妻がヤられる姿を見ながらのオナニーは、自分で妻を抱くよりも、何倍も気持ちいいのです。

そのオナニーの快感によって、夫の脳にも本能が刻まれます。
快感によって、自分の妻がこの男の子供を産むのだ、という事を納得し、そして自分はその父親となって……たとえ血は繋がっていなくても……妻と一緒に育てて行こう、ということを、強制的に納得させられてしまうのです。
妻があられもない姿で男に抱かれ、快感の声を上げながら揺れる姿を見ることで……そしてそれを見てオナニーする事で……寝取られ夫は、自分と血の繋がらない筈のそのヤリチン男の子供を、育てていくことを決心してしまうのです。理性ではなく、本能の部分で、強制的に。

なんという自然の摂理でしょうか。
そして、寝取られ夫はなんという哀れな存在なのでしょうか。

セックスという生存競争の敗者。
愛という摂理の被害者。
そして快感という暴力の犠牲者。

けれどその快感の中に、他人には決して理解することの出来ない愛が隠されていることも事実なのです。
その愛と快感の中に、寝取られの真実が潜んでいます。

(当ブログはあくまでフィクションである事をご了承下さい)