愛がなければセックス出来ないのなら、人類はとうに滅んでいるわ

思えば、人間のセックスは矛盾に満ちています。

人間の男女は愛によって結ばれ、社会的に結婚して夫婦となり、家庭を築きます。
そこにあるのは精神的な夫婦の絆です。

愛というもの、そして夫婦の絆というものを考えれば、セックスという行為、子供を作る行為は、精神的なつながりによって成り立つべきです。
本当に愛し合っていなければ、子供は産まれない。
男女が精神的に結ばれて初めて、赤ちゃんが出来る。

そのような仕組みになっていなければなりません。

けれども、現実には人間のセックスはまったく違います。

男女が絆を深めるには時間が必要です。何年もの時間をかけて、男と女は理解し合い、信頼関係を築き、愛を育んで夫婦となるのです。
けれども、セックスには時間は必要ありません。

たとえその日会ったばかりの男でも、抱かれてしまえば、妻はその男性の子供を妊娠します。

幼馴染として、長い時間をかけて結ばれた仲の良い夫婦。
しかし、奥さんがお酒に酔ってホテルに連れ込まれ、たった一晩抱かれてしまえば、奥さんは10年以上の付き合いになる大切な旦那ではなく、昨日会ったばかりの他人の子供を身籠るのです。

現実には一晩という時間すらも必要ありません。
男と女のセックスは、15分もあれば成立してしまうからです。
私はNTR人生の中で、待ち合わせた男性と自己紹介を済ませ、ホテルに入って30分後には、もう妻の子宮の中に男性の一発目の射精が遂げられていたという経験を何度もしています。相手の名前も知らないのに、妻と男性は肉体的に結ばれて、生理の周期が少し狂えば、それでもう二人の間には子供が出来てしまいます。

まだ若かった二十歳前半の頃、二人の男性に誘われてまだ結婚前の妻と一緒に車に乗り込みました。
その車が発車し、人気のない海辺の工場地帯に停車した後、二十分も経つ頃には、真由子は全裸で、二人の男性に中出し射精を遂げられていました。見ているだけの私をよそに車内の温度はどんどん上がり、あっという間に車の窓ガラスが真っ白に曇りました。

私達はそれからホテルに連れて行かれ、真由子は二人の男性に一晩中愛されました。私が初めて真由子が抱かれる姿をカメラに収め、そしてヤられる彼女の姿を見つめながら朝までに四度もオナニーした、忘れられない夜です。朝が来るまでに、真由子は5回の射精を子宮に受け入れました。(私はティッシュの上にオナニーしただけで、数に入っていません)

二十一歳の誕生日を迎えたばかりの真由子。避妊の知識もなく、ピルを飲むことも知らなかった私達。私は名前も知らない他人によって、ほんの短い時間で、最愛の人が女としてのすべてを奪われてしまうという事を知りました。
私達はいつでも呼び出して言いなりになる都合のいいカップルでしたから、男性二人との関係は一度で済む筈がなく、真由子は結局、それから何度も二人に抱かれましたが……最初に車の中で、男性の膝の上で激しく揺れる裸の真由子の姿を見て、そしてそのまま男性が真由子の中に遂げてしまうのを見て、私は真由子が相手の……Yさんの物になり、結ばれて命が産まれるんだという事を感じたのです。

出会ってたった30分も経っていないのに、真由子は抱かれ、感じさせられ、そして妊娠させられる。NTRの道に踏み出したばかりの私は、真由子はこの男性の子供を産むんだという事を実感し、覚悟しながら、泣きながらオナニーを繰り返し、裸で愛される彼女の姿を懸命にカメラに収めたのです。

人間は妊娠しにくい生き物です。
多くの動物は発情期に交尾すれば高確率で妊娠し子孫を残しますが、人間のセックスは運とタイミングです。
たとえ愛し合っていても、身体の相性が少しでも合わなければ……
あるいは夫の男性機能に問題があれば……
何年かけて夫婦として生活していても妻は妊娠しません。

かと思えば、たまたまタイミングが合ったために、10年連れ添った夫ではなく、今日出会ったばかりの男の子供を妊娠してしまう事もあるのです。
あるいは、いくら精神的なつながりがあったとしても、たまたま身体の相性が良ければ、たった一度のセックスで、長年連れ添った夫よりも強い絆が生まれてしまう事もあるのです。
それもまた運命と、寝取られた夫はあきらめざるを得ないのでしょうか。

女性の体と人間のセックスは、本当に矛盾と不条理に満ちています。

奪い、奪われる。
強い遺伝子、優秀な遺伝子を残そうとする生命の仕組み。
その前では、結婚、夫婦、愛情といったものは、ほんの飾りに過ぎないのかもしれません。
しかし、飾りではあっても、人間の男女には精神的な愛があるからこそ、ドラマが生まれます。
そういった精神的な絆と、肉体的なセックスの間にある矛盾の中にこそ、寝取られの醍醐味があります。

人間のセックスは、肉体的な欲望を前提としています。
肉体的な欲望によって成り立っています。
男女が結ばれ、次世代の命を生むという神聖な行為は、精神的な愛ではなく、むしろ肉体的な、刹那的な欲望によって成り立っているのです。

もし、子供を作るのに愛が必要だとしたら。
男女の間に、夫婦の間に、「本当の愛」がなければ子供が作れない。人間のセックスがそんな仕組みだったとしたら。
人類はとっくの昔にその数を減らして、絶滅していたでしょう。

セックスをするのに「本当の愛」の証明が必要だったとして、その判別を誰が行うのでしょうか。
そもそも本当の愛なんて、誰がわかっているのでしょうか。
そのような判断は、人間には出来ません。

ですからその替わりに、女性の子宮は、男性の精子を注ぎ込まれれば、分け隔てなく、相手が誰であっても妊娠するように出来ています。それが不倫であっても、強姦であっても、清いセックスであっても、汚いセックスであっても、女性の身体は平等に妊娠します。ある意味で、それは無償の愛なのかもしれません。

寝取られとは、そんな女性の持つ無償の愛、分け隔てなく男を受け入れる性に対して、寝取られ夫という弱い存在が勝手にやきもちを焼き、文句を言っているというだけの現象なのかもしれません。