殺された寝取られ夫の悲哀

私は寝取られ性癖の男ですので、普段生活していても、NTRの事ばかり考えています。

男はみんなエッチだと言います。
その点では、寝取られ夫も変わりません。

しかし、一般の男性は、町を歩いて綺麗な女性をみかけると、欲望を感じ、エッチな事を考えますが、私のような寝取られ男は違います。
もちろん綺麗な女性を見て、少しは綺麗だなとは思いますが、エッチな想像をする気にはあまりなりません。
頭の中では、妻が寝取られる事ばかりを考えているからです。

あんな場所で、こんな場所で。
あんな男に、こんな男に、集団で。
あんなシチュエーションで、こんな状況で、こんな流れで。
こういう格好で、こういう服装で。

色々な状況で、愛する妻が他人に脱がされ、エッチな事をされるシーンを想像してしまいます。

そんな想像を繰り返し、また実際に目の前で妻がヤられてしまう事も何度も経験した私ですが、そんな私にもずっと憧れているシチュエーションがあります。

セックスというのは、命に関わることです。
新しい命を生み出し、また命をめぐって、奪い奪われる中にロマンがあります。
ですから、人の命とセックスが生々しく奪われる状況に憧れるのです。

現代社会は物質的には豊かで便利ですが、エロスは希薄です。
人の生き死にに関わるような根源的なエロスは、現代社会には稀なのです。

ですからそういった便利さと無縁な時代、社会が管理されていなかった昔の時代を想像してしまいます。

山賊に襲われる。
盗賊に奪われる。
無法者達に、妻をいいようにされる。

そのような状況に、憧れるのです。

たとえば江戸時代、いや室町時代。
場所は日本でもいいですが、中世ヨーロッパでも構いません。
幼い頃から同じ村で仲良く育った男女が、めでたく結婚し、善良な農民としての生活を始めます。

新婚三か月目の二人は離れた町に住む妻の両親に食糧を届けるために、馬を連れて出かけて行きます。
一晩かけて山を越えるのです。

けれど運悪く、その山の中で四人組の山賊に出会ってしまうのです。

山賊の目当ては、馬が運んでいる食糧。
夫は背負っていた荷物の中から短剣を取り出し、必死に抵抗しようとします。
しかし善良な農民である夫と、戦いに慣れた山賊四人では勝負になりません。
山賊になるような男は、もともと力自慢の乱暴者です。強さと悪はイコールです。腕力があるから悪者になるのです。

その後の結果は、もうお分かりの事と思います。

あっという間に……ものの10秒も経たないうちに夫は胸を刺され、その5秒後には、妻は山賊の一人に羽交い締めにされています。
その10秒後には、妻は服を破られ、山賊の手で荒々しく生乳を揉まれています。何本もの手が伸びて、一分後には、妻はもう裸同然になっているでしょう。
そこから5分後には、血を流して倒れている夫からそう離れていない草叢の上で、妻は一糸纏わぬ姿で山賊にのしかかられ、肌を重ね、足を開かれ、女として山賊を受け入れてしまっています。

そして恐らく……30分も経つ頃には……真面目で善良な新妻の男性経験は、夫ただ一人から、四人の山賊を加えた5人となり……そして子宮の中は四人の山賊の四発ぶんの精液でいっぱいになってしまっているのです。

これは避けられない事です。
誰もいない山奥の細道で、山賊と夫婦が出会ってしまった以上、避ける事のできない自然の帰結です。
出会ってしまった以上、夫は殺され、妻は犯されるのです。
いくら新婚夫婦であっても、いくら幼馴染の純愛夫婦であっても、二人の絆が強くとも、結果は変わりません。

善良だけど無力な夫は殺され、貞淑だけど美人な妻は犯され……そして妻は山賊の子供を産むのです。
それが、奪い、奪われる、自然のルールであり、命をめぐる男と女のルールだからです。

新婚三か月目の幸せだった妻は、監禁された10日余りの間に、四人の山賊に数えきれない程抱かれ、腰が抜ける程愛され、夜も昼もなく女として可愛がられ、そして骨の髄まで快感を叩き込まれます。隙を見て逃げ出して来た妻が、ぼろ切れをまとって放心状態でやっと隣町に辿り着いた時、妻のお腹には新たな命が宿っています。父親は、夫の仇である四人の山賊のうちの誰かです。愛しい夫を殺した憎い相手のはずなのに、女である妻の体は、その憎い男の子供を産んでしまうのです。けれども、何日もかけて愛され、女としての快感を喜びをさんざん経験させられた妻は、山賊の事をもう心底憎いとは思っていないかもしれません……

そんな古い時代ならではの、自然の掟に従った寝取られ。
私はそんな寝取られ体験と、奪われる快感に憧れます。

しかし、ここで問題があります。
殺されてしまっては、夫は妻がヤられるシーンを見る事が出来ません。
これは由々しき問題です。

寝取られ性癖の夫は、妻が犯されるシーンを見て興奮するからです。
四人の山賊に打ち負かされ、妻が女として奪われる。
そのシーンを、夫は目を皿のようにして見たいのです。すべての行為を余すところなく見たいのです。
妻が脱がされ、四人の山賊によってかわるがわるヤられまくってしまう姿。
それを見て、嫉妬にまみれながら興奮するのが、寝取られ男の最大の楽しみなのに、死んでしまっては、その興奮が味わえません。

これは大きな矛盾です。
大問題と言っていい事柄です。

いっそのこと、夫を殺さずに、縛り付けるだけで済ませてくれたら……
しかし、男の方を殺すからこそ、女の身体を奪うセックスにも真実味が生まれます。
人の目の届かぬ山奥で、山賊がひ弱な夫に容赦してくれるとも思えません。
やはりどうしても、ひ弱な夫は殺され、妻はやりたい放題に犯される事になるのです。

私は寝取られ小説を書く上で、このような奪われるシーン、戦いに敗北して妻を犯される場面と、寝取られ夫としての視点について考えました。
これが小説や物語であれば、私達は読者として、また視聴者として、夫が殺された後でも、妻が脱がされ、ヤられてしまうシーンを堪能できるのです。

しかし夫は哀れです。
死にゆく者には、寝取られる快感すら与えられません。

霊体として、亡霊としてその場に残り、愛する妻が男達に抱かれる姿を見つめる事も出来ます。
しかしそれでは……夫はきっと成仏できないでしょう。嫉妬と悔しさで一杯になり、愛する妻を奪われた苦しみに苛まれたまま、亡霊として永遠に彷徨う事になりそうです。

では、成仏した場合はどうでしょうか。夫は善良な人間なので、不幸にして山賊に殺された後にも、天国行きのコースが用意されている可能性が高いです。

私はこれを寝取られ小説家として真剣に考えてみました。
しかし、成仏コースを選んだとしても、そこにはやりきれない不満と、矛盾が残ります。

山賊の親分は、夫の胸に剣を突き刺した後、こう言い放つのです。
「へへへ、観念せいよ」

決まり文句と言ってしまえばそれまでです。
しかし、悪役は人を襲う時に、決まってこのような台詞を言うのです。
悪辣というか、まさに悪徳を象徴する台詞です。
観念とは仏教に由来する言葉で、物事をありのまま認識する事、要するに悟るという事を指すようです。

つまり、お前の人生はもう終わりなのだから、悟りを開いて素直に天国へ行け、と言っているのです。

無駄な抵抗はやめて、悟りを開いてとっとと仏になっちまえ。天国はいい所なのだから、現世の執着は捨てて、迷わずさっさと極楽へ行きな。お前の嫁さんは俺たちがしっかり可愛がってやるからよ。なあに、お前の嫁さんは俺たちの子供を産む事になるが、お前はもう死ぬんだから関係ないだろ。恨みっこ無しで、さっさと成仏してくれよ。

つまりはこのような意味の事を言っているのだと思われます。

不幸にして殺されてしまった以上、夫に残されている道は、亡霊となって地上を彷徨うか、成仏して天国に行くか、二つにひとつです。

亡霊となっても、夫は文字通りの意味で浮かばれません。愛していた自分の妻が、四人の山賊にたっぷり抱かれ、可愛がられ、愛される姿を見るだけにとどまらず、彼女がその山賊の子供を産み、その後また新しい男に出会って再婚し、女として自分の事を忘れていく姿を見せつけられる事になるからです。

しかし天国に行く場合、夫は現世への執着を捨てなければいけません。それは妻のことを忘れる事に他なりません。あるいは自分と妻との関係を忘れる事です。
光に包まれ、天へと昇っていく夫の魂は、ふと地上を振り返った時、一人の女が男達に愛されている姿を見るでしょう。しかし夫の目にはそれが自分の妻であることがわかりません。ただ一人の善良な魂を持つ美しい女が、地上で生を営んでいるとしか映らないでしょう。山賊が妻の中に射精し、妻の中に新しい命が宿るのを見て、夫はその命の光を神聖な美しいものとして認識し、かつて自分の妻であったその女に対して、おめでとう、と一言つぶやき、そして天国へと行くでしょう。人間としての執着を忘れた命の光の中では、セックスはすべて神聖なものであり、女が自分の妻であっても、男が悪人の山賊であっても関係がないからです。

成仏する夫は、山賊に犯されて妊娠した妻に向かって、おめでとう、と祝福するのです。
悟りを開いた夫の魂は、現世への執着も無く、人間としての善悪の価値基準からも自由になっているからです。

しかし、それではやはり、夫が可哀想な気がします。
せっかく寝取られ性癖を持って生まれたのに、妻が愛される姿をこの目で見られないのですから。

なので私は、小説家としての立場を利用し、この哀れな夫に違う未来を用意したいと思っています。
この夫はやがて違う時代に生まれ変わり……たとえば現代の日本に生まれ変わって……そして同じように生まれ変わった妻と再会し、恋に落ちて……そして今度は殺される事なく、目の前で妻を奪われ、生きたまま彼女がヤられる姿を、たっぷりと見られるようにしたいと思っています。

寝取られ小説を書く作家として、せめて殺された夫には、そういう来世を用意してあげたいのです。
でも、今度も結局、彼女が産むのは他の男の子供ですけど。

もちろん、彼女を寝取る四人の男達は、あの山賊の生まれ変わりとしたいところです。
とはいえ、彼女は四人どころではなく、数えきれない程の男に抱かれてしまう運命なのですが……