寝取られた妻はより良い射精を求める

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寝取られセックスが起きている間、大切な妻を目の前で寝取られる夫の中には、様々な複雑な感情が去来します。
ショック、悲しみ、嫉妬、魅惑、興奮、絶望、愛情、後悔、そして喜び。
人間が持つすべての感情がひとまとめに混ぜ合わさって襲い掛かってくると言えるかもしれません。
もしかするとそれは人が死ぬ時に味わう感情に近いのかもしれません。

しかし、そういった複雑で圧倒的な感情の向こう側で、かすかに残った冷静な部分があって、その脳の一部はしっかりと目の前起きている光景を見つめています。その光景とは言うまでもなく、男と女がセックスする光景。自分の大切な妻と、まったくの他人が動物的にセックスをし、交尾し、愛を交わす光景です。

それが自分の大切な女性であるにも関わらず、いやそれが大切な女性だからこそ……寝取られ夫はセックスの様子を眺めて、そして感動を覚えます。

全裸で抱き合う男女の美しさ、舌が絡まり合うキスのロマンティックさ、お互いを愛撫する男女の手に込められた愛情、そして激しく揺さぶる動きの中にある情熱に、衝撃を受け感動するのです。

仰向けで足を開いた妻の身体の上で、男の腰が規則的にくい、くい、と動く時、寝取られ夫である私は、その男性の腰の本能的な動きに感銘を受け、ああ、セックスというものはなんとよく出来ているのだろうかと、男と女、雄と雌、そして生命の営みの奇跡を感じて感動してしまうのです。

誰に教えられたわけでもなく、どんな男性でも、
妻の身体の上で、腰をくいくいとリズミカルに動かしますし、
四つん這いになった妻のお尻を抱えて、パンパンと音を立ててピストンしますし、
抱き合えばキスをしながら、男性の両手は妻のお尻を包むようにつかんで撫で回します。

セックスという行為を冷静に考えれば、その本質は射精の瞬間に集約されます。
男性が女性のおまんこの中にチンポを入れ、そのチンポから、女性の子宮に向けて男の精子が発射される。
セックスの本質的な目的は、ただその一点にあります。

しかし、いやだからこそ、セックスのすべては、その男が女の中で射精する、その一瞬に向けてすべてが行われます。

男女が見つめ合い、抱き合い、愛撫し、気分を高めるのも…
お互いに身体の各所を愛撫して気持ち良くなるのも…
女性が献身的に男のチンポにフェラチオするのも…
それは最良の射精の瞬間を迎えるため。

男の側からすれば、なるべく大量の精液を出して、大量の精子を子宮に送り込み、妊娠の可能性を高めるため。
女の側からすれば、なるべく男性を気持ちよくさせて、大量の精子を受け取り、また出された精子を子宮に吸い込み、受精の確率を上げるため。

人間というものは、妊娠しにくい生き物です。
ですからセックスの際には、なるべく妊娠の可能性を高めるために、大きな快感、つまり良いセックスが重要となります。

寝取られ夫には、この大切な「良いセックス」をする能力が足りません。
男性器、つまりチンポの大きさも足りないし、男としての精力や生殖能力そのものも弱いのです。
ですので、大切な女性を満足させられず、結果的に寝取られ男となります。

しかしそれはある意味では、種の保存の本能に従った自然の摂理であるとも言えます。
寝取られ夫は、自分自身で妻を妊娠させる能力が低いからこそ、本能的に寝取られを快感と感じ、妻が他の男によって妊娠させられることを望んでしまうのです。

妻を妊娠させる能力。
つまり妻を喜ばせ、良いセックスをして、快感で充血した子宮に向けて、大きなチンポで大量の精液を噴射する能力です。

私は男としては精力も弱く短小ですが、大好きな妻を精一杯愛し、若い頃は全然駄目でしたが夫婦生活を続けるうちに、努力と工夫を重ね、今では少しは妻を喜ばせることが出来るようになりました。
しかしそれは、セックスの中でのほんの短い時間だけです。抱き合う中でだんだん妻が喜び始め、可愛い声を出し始めます。しかしそこにはどうしても限度があります。持続もしなければ、それ以上、妻が高まるところまではどうしても持っていけません。妻はそれでも嬉しいと言ってくれますが、妻の中に入れさせてもらう度に、私は自分の物では妻のおまんこに釣り合わないということを思い知らされます。
それは付き合い始めたばかりの若い頃からそうでした。若い頃、妻とエッチしても、私はまったく力不足だったのです。だからこそ私はいつしか寝取られ性癖となり、私達は寝取られ夫婦となったのです。

しかし妻が他の男性に抱かれる時はまったく違います。
妻はセックスの間中、10分、20分、30分、時には何時間も……ずっと感じ続けています。男性が入れた瞬間から、二度目、三度目のセックスとなって夜更けとなるまで、すべての挿入で喜んでいるのです。女性を責める持続力、妻のことを抱く精力。そもそも私では一晩に一度のセックスで精一杯です。その一度すら出来ない事もあるのです。

そして妻は、私との夫婦のセックスで可愛い声を出してくれる時とは違って……もっととんでもない事になります。切羽詰まった声を上げ、悲鳴のような金切り声となり、むせぶように喘ぎ、おかしくなってしまったかのような声を出します。しかもそれがどんどん高まっていきます。私との夫婦生活で、妻がそのような声を出してくれた事はありません。長年の夫婦生活の中でも、せいぜい頑張って二、三度、そこに少し近づいた事がある程度です。

乱れまくり、喜びまくり、とんでもない声を上げて……
騎乗位で髪を振り乱し、乳房を揺らして……
しかもそれが何十分、時には何時間も続いた上で……

妻の下半身の中では、私とは比較にならない大きなおちんちんが、固くなって妻のおまんこを押し広げ、はちきれんばかりに密着し、いっぱいに満たして、感じる部分をえぐるように摩擦し、一回一回のピストンが子宮を突き、男女の生殖器官が激しいダンスをするように絡み合っているに違いないのです。

挿入の間、男の亀頭と妻の子宮口は、何度も触れ合い、キスを繰り返すように絡み合っているに違いありません。
それは私では滅多に届かない、男女の最も親密な本当のキスです。

それは妻にとって、私とでは決して体験できない行為。私では連れて行ってあげられない領域なのです。

そんなに激しく、強烈な快感を味わった果ての射精。
男性はうめき、真由子は声にならないとんでもない悲鳴を上げる。
その瞬間。

充血しきった真由子の子宮めがけて、怒張した男性のチンポの先からは、とんでもない量の精液が吹き出しているに違いないのです。

それはまるで漏らすように射精してしまう私に比べれば、3倍、4倍の量でしょう。
精子の数に至っては、10倍以上の差があるかもしれません。
今まさに絶頂を味わっている真由子の子宮は、その瞬間を待っていたかのように男の精液をスポイトのように吸い上げます。
これこそがまさに男女の愛の行為であり、男女間で愛が受け渡され、愛で結ばれる瞬間なのです。

当然、真由子が妊娠する可能性は、私とのセックスとは比較になりません。
いや、私が男として妻を妊娠させる能力が低い事は、長年の夫婦生活の中でもうわかっているのです。まだ十代だった頃、二人の先輩に何度も愛されて○○してしまった真由子……
新婚生活の最初の一年間で、真由子が妊娠したのは私ではなく他の男の……
恋人として夫として、長い時間一緒にいながら、私が真由子を妊娠させた事は……

男としての力不足。
それは言うまでもないことなのです。
私は情けない寝取られ男なのですから……

夫の私を相手にする時とは比較にならない射精までの過程と、その射精の瞬間の様子。
これこそがちんことまんこの相性であり、男と女のセックスの真実です。
若い頃からの純愛を貫いてきた、精神的な結び付きの強い私と真由子ですが、男と女のセックスの真実は、私のちんぽでは真由子のおまんこには見合わないという残酷な現実を突きつけたのでした。

男と女の真実……
セックスとは、裸で抱き合っている数時間だけの出来事ではありません。
この射精の瞬間に集約されるセックスという行為は、射精、受精、妊娠というその瞬間を中心にして、人間の存在そのものに影響を与えます。
それほどまでの快感と絶頂を味わい、男とひとつになった真由子は……
他人だったはずのその男性に、特別な感情を持つようになり。
その男性は、夫の私とはまた違った「特別な人」となって…

真由子は男性にすべてを許すようになります。
真由子は自分からその男性に会いに行き、
何度も何度も、繰り返し抱かれるのです。
そして会う度に、男性のちんぽは、真由子のおまんことひとつになる。
愛の行為とその快感を、何度も何度も繰り返し経験するのです。

一度妻の股間に入ってしまったおちんちんは、一度だけでなく、その後何度も入るようになる……
一度感じさせられてしまえば、真由子はその男性の女になってしまう……
何ヶ月の間……時には何年もの間。
私達夫婦の寝取られ人生の中で、それが私達が身をもって経験した事実でした。

たとえ最初は間違いだったとしても、肌が重なり、抱き合って、そして感じてしまえば……
それは愛となって、射精の瞬間のやりとりとなって、男のチンポは繰り返し、定期的に、何度も何度も真由子の中に入ります。
真由子のおまんこは、男性のおちんちんを何度も何度もお迎えして、真由子は本当に男性と恋人同士に……あるいは恋人以上の関係になってしまいます。

チンポと子宮の間で、快感という愛の言語を通して結ばれる愛。セックスを通じて生まれる、それこそが男女の本当の愛です。
自分でそれが出来ない情けない短小だからこそ、夫の私は寝取られ性癖となり、妻の真由子はそんな親密な関係を、何人もの他人と結んでしまったのです。