欲望は手段を選ばない
寝取られ夫の立場でセックスを眺めていると、男と女の真実や、セックスをめぐる様々な駆け引きが見えてきます。
私がこの目で見たセックスとは、自分の大切な妻が、赤の他人である様々な男に抱かれるセックスです。
寝取られ男である私はモテないタイプで、女性経験は妻だけ。そしてセックスも下手です。
だから男としてのセックスは今もって全くわからないのですが、奪われる立場のセックスは数え切れないほど見てきているのです。
それは自分の目の前で妻が脱がされ、抱かれてしまう経験だけではなく、私のいないところで妻が浮気し、男性に抱かれてしまった様子を、事後に詳しく聞き出す経験も含みます。
自分の大切な妻が、女としての大切なものを奪われてしまうからこそ、裸になった時の男女の駆け引きが否応なしに見えてくるのです。
そこで私は、男の欲望、そしてそれを受け入れてしまう女の性(さが)というものを見せつけられました。
男の欲望は止めようがありません。そしてまた、止めてもいけません。
たとえ抱かれているのが私の大切な妻であっても、男が女の身体を愛し、そして女が愛されることで喜びを感じるのは事実です。それは夫や妻といった法律上の決め事とは関係がありません。たとえ出会ったばかりであっても、身体がひとつになれば自然と愛を感じる。それは男と女の永遠の真実なのです。
男と女が結ばれるセックスは神聖なものなのです。
神聖なものだからこそ、私は愛する妻が身も心も夢中になって他人と結ばれてしまう姿に感動し、興奮するのです。
女の肉体を求める男の欲望は神聖なものだと思います。そして、それを受け入れる女の優しさもまた、美しくかけがえのないものです。
けれども、たとえそれが神聖なものであっても、いやセックスという目的がそれほどに神聖で大切なものだからこそ、男というものは嘘を付きます。
男の欲望とは、平気で嘘をつく欲望なのです。
いや、女もそうかもしれません。夫に嘘をついて、他の男と不倫関係を続ける妻を見れば一目瞭然です。
セックスの欲望は、手段を選びません。
男と女の欲望は、手段を選ばず、時に卑怯ですらあります。
愛というものが神聖で、大切なものだからこそ、愛は手段を選ばないのです。
愛とセックスという神聖な目的のためには、男と女は、平気で嘘をつき、卑怯な手段を取るのです。
まだ私達が自分たちの寝取られの性癖に目覚める前の若い頃。私達はまだ二十歳で、妻の真由子はまだ学生でした。
妻はとある男性とカラオケに遊びに行ったのです。
そしてそこで、真由子は男性にしつこく誘われました。
それはお互い納得の上のデートでした。
真由子が初めて私以外の男と浮気をしてしまった後、私達は話し合い、お互いの気持ちを確かめる意味で、真由子がデートに行くことを許可したのです。幼馴染の仲良しカップルだったけど、本当は私以外の男にも興味があると本音を告白した真由子に、私はノーとは言えなかったのです。真由子は他の男性とデートをすれば、自分の中にある私への気持ちが本当かどうかわかると言ったのです。
女としての自分の気持ちを知るために、真由子は男性に誘われるままにデートに行きました。デートの内容は、お茶と食事とカラオケだけという約束でした。一日だけ男性とデートをすれば、真由子も気が済むだろうと思いました。私は本当はカラオケに行かせるのも嫌だったのです。カラオケの個室の中で男と女が二人でいれば何が起こるかわからないからです。
私を気遣って、カラオケの中から真由子はメールをくれました。入室してすぐ、カラオケで2時間歌ったら帰るからとメッセージが来ました。けれど結果は、真由子は帰って来なかったのです。
カラオケの個室の中で、真由子はすでに男性にキスをされていました。果たして何度、どれほど濃厚なキスをしたのかはわかりません。キスだけではなく、胸も、お尻もさわられていたようです。きっと下着の中もさわられていたのだと思います。だけど真由子は、やはり好きでもない男相手にエッチしてもつまらないと思い、私への罪悪感もあって、カラオケの後すぐに帰るつもりでした。「やっぱりまさくんと一緒のほうが安心する。はやく帰りたい。カラオケ終わったら電話するね」真由子はそう言って短いメッセージをくれたのです。
しかし男性はしつこく真由子を誘いました。
年上の、遊び慣れた男性は、こんな内容のことを言って真由子を口説いたのです。
「真由子ちゃん、ホテルに行こう。一時間だけだから。何もしないから。エッチな事はしない。俺も悪人じゃないよ。彼氏がいるって聞いたら、もうそんな事はするわけがない。俺は寂しいんだ。彼女と別れたばかりで寂しいんだ。慰めてほしい。話を聞いてもらうだけでいい。話を聞いてもらって、一度だけキスをして、少しだけぎゅっと抱きしめたら、それで満足して帰るから。一時間だけなら彼氏も怒らないから大丈夫だよ。終電にはまだ時間はあるし、君みたいな可愛い子に慰めてもらったら、俺も明日から頑張れる。励ますと思って付き合ってくれ」
嘘を言う。同情を引く。おだてる。安心させる。言い訳の理由を与える。
あの手この手で心を揺さぶられ、しつこく食い下がられて、真由子は結局「じゃあ……一時間だけなら」と言ってしまったのです。
真由子のバイト先でお客として真由子に声をかけて知り合いとなり、真由子が興味を持ってデートにまで発展したNさんというこの年上の男性は、遊び人で女の扱いも慣れていました。まだ二十歳だった真由子が、簡単に騙され、落とされてしまったのは無理もない事だったのです。
その後、真由子から連絡は来ず、電話をしても出ず、真夜中になっても連絡のつかない真由子に、私はパニックとなり、半狂乱になりました。
何もしないから。エッチな事はしないから。一時間で帰すから。
そう言われて着いて行ったホテルの部屋で、真由子は全裸にされ、一度どころか数え切れないほどキスをされ、乳房全体を唾液でべとべとになるほど舐め回され、夜通し抱かれて、様々な体位でのセックスを経験させられ、女として完全に陥落しました。
一時間で終わるわけがありません。終電の時間など関係ありません。線路沿いにあるホテルの部屋に、終電の走る音が響く頃、真由子は下半身をNさんに貫かれてあられもない声を出していました。
そして夜のうちに三度、朝にもう一度と、合計4回の中出し射精を子宮に受け止めて、真由子は結局、二十歳の若い身体と、女としてのすべてをNさんに捧げてしまったのです。
カラオケの時点ではNさんのことをどうでもいい相手だと思っていた真由子は、一晩中抱かれ、身体を重ね、何百回も舌を絡めてキスをし、一緒にお風呂に入り、何度も何度もひとつになるうちに、Nさんのことを好きになっていきました。
まだ男性経験が私を含めて二人だった真由子は、初めて経験する年上の男性とのセックスに、人生観が変わってしまうほどに感じさせられました。私とのセックスとは比べ物になるはずもありませんでした。女としてそれまでの人生で最高の夜を過ごした後、朝が来る頃には、真由子はNさんのことを本気で好きになってしまっていたのです。
朝が来て、もう何度も結ばれて親密な仲となった真由子とNさんが、何度目かもわからないセックスと、4回目の中出し射精によって愛を交わした後、真由子はNさんの腕にしがみつきながら、ラブラブとなってホテルから出てきました。そして送ってもらった駅でNさんと熱烈なキスを交わし、電車に乗った後、時刻がお昼となってようやく私に連絡をくれたのです。
ホテルに入る前と、出てきた後では、真由子の態度は180度変わっていました。
ヤったもん勝ち。
ヤってしまえば、それまでの嘘も全部帳消し。
セックスとは既成事実なのです。
どんな女でも、抱かれて、感じさせられてしまえば、相手の事を好きになってしまうし、どんな男女でも、抱き合って気持ちよくなってしまえば、そこに愛が生まれてしまうのです。
真由子のように人一倍エッチで、しかも純情な女ならなおさらです。
男の欲望は、ただひとつです。
女の股間に自分のチ○ポを入れ、女の子宮めがけて思い切り射精すること。
そのためには、男は嘘もつくし、出まかせも言うし、おべんちゃらも使うのです。
たとえ嘘でも、女のあそこにチ◯ポを入れるという目的さえ達成すればいいのです。
大きなチ◯ポを入れさえすれば、女の方も気持ちよくなり、夢中になってしまうのですから。
Nさんは私の大切な恋人である真由子を相手に、あっけなくその目的を遂げてしまいました。
当時二十歳だった真由子を相手に、幼馴染の純愛関係だった私がまだ一度もしたことのない中出しを、夜のうちに三度、そして翌朝にだめ押しの四度目まで。
彼氏として、私のショックと絶望は言葉にできないほどでした。
たとえ卑怯な嘘で始まったセックスでも、抱いて、抱かれて、既成事実となれば、それは本当の愛になってしまいます。
年上のプレイボーイであるNさんに夢中になってしまった真由子は、その後Nさんとデートを繰り返し、真由子が二十一歳の誕生日を迎えた後も、彼女は悔しくなるくらいに何度も、Nさんと夜を過ごし、一人の女としてNさんに抱かれたのです。たとえNさんが真由子のことを、何人もいるセフレの一人としか思っていなかったとしても、真由子はNさんに抱かれることを望んでいました。
考えてみれば、セックスに卑怯も嘘もありません。男が女を求めてチンポを立て、女がそれを受け入れる。それだけの行為です。男と女の間にあるのは、イエスかノーか、それだけでした。そして、理由はどうあれ真由子はイエスと言ってしまったのです。そして……たとえ嘘から出たセックスでも、一度でも女のオマ◯コにチ◯ポが入り、そしてそれが気持ちよければ、それは愛になってしまうのです。そして嘘は真となり、男のチンポは、何度も何度も女のオマンコに入ることになるのです。
真由子がまさにそうでした。一夜のうちに真由子は女として陥落し、真由子のオマ◯コはNさんのものとなり、その結果、真由子のオマ◯コにはNさんのオチ◯チンがその後一年にわたり何度も何度も入り続けたのです。
奪い合うこと……
セックスは戦争に似ているように思います。
セックスも戦争も、人間の存在の根幹に関わる重大事だからでしょうか。
政治や軍事といった国家の利益に関わる重大案件には、謀略がつきものです。
国家間の争いである戦争は、ルールのない騙し合いです。
相手のすべてを奪うという目的を達するまでは、騙し、脅し、交渉し、油断させ、譲歩を引き出し、条件を提示し……
しかし、一度、軍隊が相手の城門をくぐれば、約束は反故にされます。
強者は力にまかせて、目的を達成しようとします。
口ではどんな大義名分を掲げ、きれいごとを言っても、結局のところ、戦争の本質は欲望なのです。セックスと同じように、最後には欲望のとおりに人間は動いてしまうのです。
独裁者は嘘をつくものです。
相手の本質を見抜けぬまま、中途半端な条件で和平しても、その条件はうやむやとなり、結局すべてを奪われます。
欲望がある限り、侵攻は止まりません。
独裁者が支配権を握り、領地は併合され、経済は搾取され、市民は略奪され、そして下級の兵士達は、市民の中にいる女性を相手に、「女の子宮めがけて思い切り射精する」という男の唯一の目的を遂げていってしまうでしょう。
それは「一時間だけ」「エッチはしない」という相手の言葉を信じてホテルに入った真由子が、結局裸にされ、一晩中抱かれ、女としてのすべてをNさんに捧げてしまったのと同じです。
寝取られ夫である私は、奪われる側だからこそ、そして大切な女性を奪われ続けてきたからこそ、そうしたセックスの駆け引きを肌で感じ、理解するようになりました。肌で感じると言っても、それは私の肌ではなく、妻の方が男と肌を重ねて感じさせられたのですが。
天然な性格で警戒心が薄く、押されると断れない性格の真由子。それでいてスタイル抜群で、素朴さと可憐さを兼ね備えた真由子。真由子は世間を知らない箱入り娘で、しかも10代の間ずっと、幼馴染の私との純愛を育み、本当の意味で男を知らないままでした。
女慣れしたNさんにとっては、まさに絶好の獲物だったに違いありません。
傍目には奥手で大人しそうだけれど、実はエッチが大好きで、しかも中出しオーケー娘である真由子を相手に、Nさんはさぞや美味しい思いをしたことでしょう。二十歳から二十一歳の一年近くの間、真由子の若い肉体を好き放題にしていたNさんのことを思うと、私は今でも胸が痛くなります。
それでも私は真由子と別れられず、そして真由子も私にそばにいて欲しいと言い続け、私達の下半身の性癖は次第に歪んだものになっていきました。
そしてある時、私はついに真由子が男性に抱かれる姿を、目の前で見せてもらうことになったのです。
(その後のお話は、八ヶ岳昌司の寝取られ小説をご覧ください)
セックスの上手な逞しい男性に真由子が抱かれ、私はそれを見てオナニーする。
私達夫婦にとって、一番気持ちいいセックスの形はこれです。
幼馴染だった私達は若くして性癖に目覚め、お互いが二十一歳の頃から、ずっとそんなセックスをしてきたのです。
見知らぬ他人が真由子の中に思い切り射精し、私は嫉妬で一杯となり「やめろ、やめてくれ」と心で叫びつつ、涙を流しながらも興奮してオナニー射精します。男が中出しする瞬間、ショックと嫉妬で胸が張り裂けそうなのに、背筋にはゾクゾクするような快感が走ります。
そして真由子は快感にのけぞり、「ひぃぃぃ」という消えそうなほどの甲高い声を上げて、相手のすべてを子宮に受け入れます。
男性が最後の一滴まで真由子の中に注いだ後、大きなため息とともに真由子から抜くと、真由子の股間には穴がぽっかりと開いたままになり、真由子は頬をピンク色に染めて、幸せそうに快感の余韻に浸っています。
奪われることが快感になってしまった私達夫婦にとって、これが人生の中でいちばん気持ちいい瞬間であり、そして二人の愛の絆を確かめる唯一の手段なのです。