純愛という幻想が壊れる時
NTRというものはハードルの高い行為だと常々思います。
NTRの快感は、壊れてしまう事の快感です。
恋人、夫婦、純愛、幼馴染。
年月をかけて築き上げた愛情関係が、一本のチンポによってあっという間に崩れてしまう衝撃。それこそがNTRの醍醐味だと言えます。
それは、「あってはいけない事」であり、「絶対に起きて欲しくない出来事」です。
しかし、考えてみると私はいつも、そんな「あってはいけない事」を心の中で欲していたように思います。
青春の日に真由子の処女をもらい、晴れてお互いに恋人同士となり、私は真由子がどれほど素晴らしい身体をもったいい女なのかを知りました。
そして、その瞬間から、私は、真由子の事を「他人に取られたくない」と強く思うようになったのです。
独占欲。嫉妬。
男なら当然のことと思います。
好きであれば好きであるほど、彼女の事を大切に思い、夢中となり、そして他人には指一本触れさせたくないと思ってしまうのです。
彼女の可憐でスタイルの良い完璧な身体を知った瞬間から、私は、そんな魅力的な彼女の肉体が、他人のものになってしまうことを恐れるようになりました。
デートの後、暗い夜道を歩いて彼女を送っていく時、もし悪漢や不良に絡まれ、襲われたらどうなるだろう、と私は心配でした。
男の視線に無頓着で、ショートパンツ姿のまま、夜の公園のような暗い場所にも平気で入っていってしまうような警戒心のない彼女が、いつどこで男達の好きにされてしまうか、私は気が気ではありませんでした。
しかし人間には、そんな「あってはいけない事」を心の奥底で密かに望んでしまう、そんな性質があるようです。
ホラー映画を見るようなものでしょうか。あるいはゴシップ記事を見て気分がよくなるようなものでしょうか。
残酷なシーンや暴力的なシーンを見て喜んでしまうような性質が、人間にはあるような気がします。
人間は心の奥では、汚いものを望んでいるのかもしれません。
美しいものを見れば見るほど……
きれいなもの、美しいもの、純粋無垢なもの、そういったものが、汚され、壊され、ぐちゃぐちゃになってしまう様子を見たいと思う心理があるのです。
「寝取られ」で言えば、それは純愛の美しさです。
理想のカップル。仲の良い理想の夫婦。
純愛で結ばれた、周囲の誰もが祝福する、幸せなカップル。
そんなカップルが、夫婦が、恋人同士が、見知らぬ他人の手によって引き裂かれ、絶望にどん底に突き落とされ、そして他人のちんぽによって、関係に終止符を打たれてしまう……
そんな様子を見て、人間は残酷な喜びを感じ、溜飲を下げるのだと思います。
Sの性質の人は、人のものを奪い、壊す残酷さを楽しみ、ざまあみろと思っているのかもしれません。
私は、妻の真由子もそうですが、Mの性質が強いですから……それと逆に、奪われてしまうこと、壊れてしまうことの快感で、背筋がぞくぞくと震えて動けないほどとなります。それはまさに、食う物と食われる物の関係でしょうか。
男のちんぽは、理想のカップルの美しい純愛など、幻想に過ぎないことを証明してしまいます。
ほんの数時間の間に。いや、ほんの30分足らずの間にです。
彼女の身体は、反応してしまうからです。
セックスの上手い、たくましい男性に抱かれれば……
そして、旦那よりもはるかに大きいチンポを入れられてしまえば……
純情で貞淑だったはずの妻は、夢中になって感じまくり、相手に抱きつき、ディープキスを繰り返し、女としての最高の快楽を味わってしまうのです。
その絶頂はもちろん、男の中出し射精によって終わります。中出しの絶頂と、男女の間の壁が取り除かれるフィニッシュの爽快感で、妻は身も心も天国にいるかのような幸福感に満たされます。
これまでの人生で最高のセックスの快感、そして全身を満たす幸福感に包まれながら、彼女は、夫以外の男性が相手なのに、こんなにも幸せになってしまう事に戸惑いを覚えます。
その瞬間、夫婦関係は壊れているのです。
彼女の中では、何かが変わってしまいます。
男のちんぽが、長年の夫婦関係を、純愛関係を、粉々に破壊し、終止符を打ったのです。
そして妻はもう、夫のものではなくなります。
妻の身体は相手の男のものとなり、皆の共有のものとなり、やがて何本もの男のちんぽが、妻の中に突っ込まれます。
たとえこれまでの人生では、夫の小さなものたった一本しか入ったことがなかったとしてもです。
それが自然のなりゆきなのです。
純愛関係……
男女の精神的な関係を築き上げるためには、長い年月が必要です。
そして、恋人同士となって通じ合うためには、特別な何かが必要です。それは美しいものです。恋愛小説や映画で言えば、それは物語の美しさだと言えるでしょう。
しかし、現実には、男女関係の真実はもっと残酷です。
セックスの快感は、10年かけて築き上げた純愛関係を、たった30分で塗り替えてしまうのです。
幼馴染の純愛、世界にただひとつのかけがえのない愛情を、たった一晩のセックスの快感が上回ってしまいます。
一晩もあれば十分です。
セックスの喜びと、男女の結びつき、肉体関係の親密なつながりは、一分一秒という単位で深まっていきます。男のセックスが強く、肉体的な相性さえよければ……一晩たって朝が来る頃には、妻の人生観は180度変わり、たとえ見た目にはわからずとも、昨日までの妻とはまったく別人になってしまっているでしょう。
たとえ抱かれたきっかけが、一時の気の迷いや、間違いからであっても……関係ありません。
一晩あれば……数かぎりないキスを交わし、一緒にお風呂に入り、裸で親密な会話をし、お互いの股間を舐め合い、何度も抱き合って……夜の間に二度、三度と中出しを決められ、そして朝が来ればダメ押しにもう一発。これで完璧に相手のものになります。(真由子はいつも……男性とお泊まりし、持ち帰られ、そしてそんなふうに、翌朝の最後の一発までフルコースで愛されました)
合計4発ぶんの精液を子宮に注ぎ込まれ、お昼過ぎになってやっと夫に連絡した妻は、きっと残酷な事実を夫に告げるでしょう。
「わたし、あの人のこと好きになっちゃったみたい」
そこには、恋愛も、ラブストーリーも、物語の筋書きも、へったくれもありません。
抱かれたら、好きになっちゃった。気持ちよくなって、幸せになっちゃった。ただそれだけです。
セックスの中には、親密な愛情の行為が、これでもかという程に詰め込まれているのです。それはもう、見ていて、悔しいほどに……目の前で、真由子は、どんどんどんどん、相手の男と、親密に、ロマンティックに、優しく、激しく、精神的にも結ばれていってしまうのです。
これはすべて、自然のなりゆきなのです。
セックスとはそういうものです。
夫婦となって子供を作るために、美しい純愛や、10年もの歳月をかけた精神的な関係が必要なのであれば、人類はとっくに絶滅しています。
人間の男と女は、出会ったその日に子供が作れるようになっているのです。子供ができるのに必要なのは愛ではなくて、タイミングという偶然だけ。それは不条理とも呼べる現実です。
だからこそ、1時間足らずのセックスが、10年かけた純愛を超えてしまうのです。はるかに衝撃的に超えてしまうのです。
セックスの相性さえ良ければ、たった一晩の間に、男女の絆ができるようになっているのです。
その時に物を言うのは、チンポの力です。
それが自然の成り行きです。
NTRとは、純愛という幻の中でぬくぬくと過ごしていた男女が、幻から覚めて、自然の法則にさらされる行為です。
精神的な恋愛、大切な人、特別な関係。そういった幻想が打ち砕かれ、男と女の肉体、ちんことまんこの真実に否応なく向き合う事になるのです。
特に女の方。寝取られる妻の方にその真実は顕著に現れます。
妻が美女だった場合はなおさら。
弱い男と、それに見合わないような美しい女。
そんな関係が、寝取られの典型だと言えます。
純愛という幻想に囚われて、弱い男である夫だけに誠実に尽くしていた妻。
けれど、可憐な美女である妻は、本当はもっと多くの男達に愛される運命なのです。
多くの男に愛され、抱かれてこそ、強く、優秀で、多様な遺伝子を残すという、生物としての使命が果たせるからです。
それが自然界の法則に従う行為だからこそ、妻は寝取られを気持ち良いと感じてしまうのです。
妻を寝取られ、自然界の法則の中で妻を守れなかった私は負け犬です。
夫を裏切り、たくさんの男に抱かれた妻はある意味では勝者かもしれません。
貧弱な短小男と最高の身体を持った美女。そこには最初からレベルの違いがありました。
そんなお互いの残酷な下半身の現実を突きつけられ、それでも一緒になることを選んだ私達は歪んだ関係かもしれません。
ある意味ではやはりM的な性質なのだと思います。
奪われる事の快感を通じて、私達はつながっているのです。
寝取られ、奪われる事が、私達が唯一、通じ合える事なのです。
奪われる痛みと苦しみを通じて、私達は今でも、純愛のかけらにしがみついているのかもしれません。