妻を寝取られて良かった
「寝取られてよかった」
通常ではあり得ない言葉です。
大切な女性の身体を他人に弄ばれて、感謝するなんて普通ではありません。
けれども私は過去を振り返り、時折そのように思います。
あの時、大切な恋人の真由子が、他人に抱かれてよかった。
名前も知らない男のおち◯ちんが、真由子に突っ込まれてよかった。
男の口車に乗せられた真由子が帰って来ず、ホテルで一晩中ヤられまくってよかった。
そして、二人の先輩に抱かれて感じまくる真由子の姿を、目の前で見せられてよかった。
それによって私は寝取られ性癖の男となり、哀れな寝取られ夫として人生を歩むことになったのですから。
私達夫婦の関係は普通ではありません。
しかし、私達夫婦はなるべくしてこのような関係に収まったとも言えるのです。
私が書いているのは自分達夫婦の、そして私自身の性癖の暴露です。
私は妻となった真由子に出会うことがなければ、そして彼女に一途に恋をして、その挙句に彼女を他人に何度も寝取られるという悲劇に見舞われることがなければ、あるいはもっとタチの悪い変態になっていたかもしれません。
私は弱い男です。
男として精力も乏しく、女性を自分のものにしようという意欲も旺盛ではありません。
けれども、エッチなものはやはり見たいのです。
それはつまり覗き根性です。
私が自分で妻の真由子を抱くよりも、妻が他人に抱かれて感じまくっている姿を見るのが好きなのも、そういった覗き根性、覗き趣味があるからです。
私は寝取られ性癖に目覚める前、アダルトビデオを見る時は、痴漢やレ◯プなどの少し犯罪的な内容のものに興奮する傾向がありました。それは弱い男の性癖から来るものだったのではないかと思います。自分に都合のいい、弱い男が社会の目を気にせずに女性を自由に出来る状況に憧れていたのです。
痴漢やレ◯プなどといった行為がなぜ卑劣かと言えば、それは弱い男がする事だからです。
自然界での男と女の営みでは、強い男、優秀な男が女を手に入れて子孫を残します。
それは女が男を選ぶことによる、優秀な子孫を残すための自然の選別です。
けれども犯罪行為はその法則に則っていません。
どんなに弱い男でも、ほとんどの女性よりは力が強いし、卑怯な手段を使う事ができるからです。
私は、真由子がすやすやと熟睡している時に、こっそりと彼女の身体をまさぐり、楽しむのが大好きです。
眠って意識のない状態の女性を触るのが好きなのです。
それは、気が弱い私にとって、女性の視線や、相手からどう思われるかを気にせずに、思い通りに女性の身体をいじれるからです。
ですからもし真由子と出会っていなければ、私は男として精力がないにも関わらず、卑怯な手段で女性の抵抗を奪い、人のいない場所で女性を気絶させ、スケベな事をしていたかもしれません。
意識がなければ、たとえ私が短小でも関係なく、ひとりよがりな行為をして気持ちよくなり、一方的に思いを遂げる事ができるからです。
しかし私は真由子という理想の女性に恋をし、そして彼女の身体は何度も他人に抱かれ、そして私はいつしかそれが快感になりました。好きな女性が他人のものになってしまう姿に興奮してしまったのです。私の目には他人に抱かれて喘ぐ裸の真由子の姿が焼き付きました。私の心は真由子でいっぱいとなり、もう他の女性には手も触れる事ができない体質となったのです。
私のスケベな覗き根性、それはつまり、自分は何も出来ないけれど、真由子がされてしまうエッチな事は覗き見したいという欲望です。
ですので私は自分が浮気をするくらいなら、真由子の浮気現場を覗き見したいのです。
ホテルの前で選択を突きつけられ、理想的な美少女と一緒にラブホテルに入るか、真由子が逞しい男性と浮気をするのを見るか、どちらか選べと言われたら、私は美少女とのセックスよりも、真由子の寝取られセックスを見ながらオナニーする方を選びます。何の迷いもありません。美少女とホテルに入っても、おそらく私はちゃんと立たないのですから。
寝取られが気持ちいいのは、それが自然の摂理に適っているからです。
女である真由子は、セックスの強い、雄として魅力的な男に抱かれ、腰が抜けるほど感じさせられ、結ばれて妊娠します。それは夫である私よりも優れた遺伝子です。
そして彼女は、精神的なつながりによって、自分の面倒を見て子供を一緒に育てるための弱いけれど誠実なオスも確保するのです。それはもちろん夫である私のことです。
ですから私は、卑劣で卑怯な犯罪者になるよりも、真由子だけを生涯見つめている情けない寝取られ夫になって、むしろ良かったと思っているのです。
寝取られ夫となった私は、真由子という大好きな女性のスケベなシーンを、純情だけど本当は淫乱な彼女が、数々の男に触られ、抱かれ、ヤられ、ずっこんばっこんヤられまくってとんでもないことになってしまう姿を、見つめ続けたいのです。
やはり愛は人を救うのかもしれません。
下半身の関係は歪んだものであっても、私達夫婦の間には愛があるのです。